もう終わったこと
不即不離
ちょうどよい距離感を保ち続けると、あなたはとても安寧に過ごすことができる。ところがこれが意外と難しくて、ついのめり込みすぎたり、突き放しすぎたりしてどうもうまくいかないわけだ。その原因を探ってみると一つのあるクセが見つかるわけだ。それは、あなたをそこについつい持ち出してしまうことで、その荒馬のような波に巻き込まれてしまっているということだ。どんな危険な動物だとしても、しっかりとした柵があればあなたは傷つかない。どんな危険なアトラクションでもあなたとの適切な距離と安全装置があれば、まずそれによって怪我することを防ぐことができる。すなわちそれから適切な距離を保つべきだとわかっていても、どうしても手を伸ばしてそれを触れたくなるクセがあるということだね。おそらくそれを体感したり実感したりすることで、あなたは傍観者ではなく当事者であるという証をそれによって得たいという欲望からそうなるわけだ。
増幅
だから、そういったあなたを傷つけかねない事象が起きたとしても、あなたがそこに手を突っ込まなければ安全なはずだ。そして幸いなことにそれに乗っからなかったことによって実際に傷ついてはいない。しかしながらまさに傷つく寸前だったという思いがずっと尾を引くことで、実はあなたが自らの心をずっと責め続けてしまっている。単なるヒヤッとしたそれを、あなたはあなた自身の心の中で増幅し続けて繰り返し再生しているようなものだね。もう随分も前のことで、危険など何一つない安全な場所で、あなたはそのヒヤリとした体験をわざわざ何度も再生することで、あなたの心の中をわざわざざわつかせて続けている。その結果、傷つくはずのないことであったにも関わらず、どんどん自傷行為のように実際あとから痛みを覚えているわけだ。それはあなたが増幅して再生しなければ全く起こらないことだというのにね。
忘却
何があったとしても、それがあなたにとって衝撃的だっとしても、すでにそれらは終わったことだ。さらにその場で何を揶揄されようとも、あなたに対して悪意がむけられようとも、今はそれはない。さらにはそこで相手の土俵に乗らずに、上手にやり過ごしたわけだから、被害もまったくない。もちろんそう言われれた瞬間は、不本意であったしショックだった。けれどもそれだけだった。あなたは例えば天候一つさえ自らなんとかすることすらできないわけで、生きていれば誤解やいわれのない批判はいくらでも起こり得るわけだ。そしてそれをうまくかわすことで無事今がある。それをいつまでも覚えている必要などそもそもないわけだ。雨が降ったからといってあなたを責め続けることがないようにね。だからそんなことに時間を使っている場合ではないし、忘れてしまえばいいね。その切替が上手なことがしたたかに生きる術というものなのだよ。昨日のあなたはもういないのだからね。
