予測という幻想
人生のゴール
焦らず慌てずゆっくりと自らを信じて進めばいい、なんてよく言われることだね。いやいやそんな悠長なこと言っている場合ではなく、いろんな期日や締切がもう目前に迫っているのだから、なんとか急いでそこに間に合わせないと面倒なことがたくさん起きてしまう。だから、なんとなくあなたはそんな言葉を受け入れることができないままだ。幼い頃から早くしなさいと、母に言われて育ってきたし、学校でも会社でも期限を守ることが何よりも大切な生きる術だと教えられてきた。それによって社会的なルールが保たれ、契約的な物事は動いているのだからね。決まったことを守るという基本姿勢を維持できずに、あなたの存在価値だけを保つことはできない罠だとも言える。ところが一方でそのような決まりやルールはおまけであって、本来のあなたに立ち戻ってみればすべては茶番であるという本質をついた言葉であることはわかっているとしても、約束を守らないでいるのはどうも居心地も悪いと感じているね。きちんと守っても、ちょっとごめんなさいしても、結局のところのゴールはいつかはいなくなるという死がそこにあるだけだ。
遵守
決まりは守ることが望ましい。それによって社会は安定し、人間関係はスムーズになり、諍い事がすくなるなるからだ。そうは言ってもどうしても無理なところは無理だと伝えて、リスケするなり調整しなければならない。あとは予測不能な不可抗力がいつも伴っているわけだから、すべてを守り通せるわけではないね。気がついたらまるで予測可能なことばかりでこの世の中は進んでいて、おそらくはそうなるだろうという希望的観測ですべては回っている。しかしながらそのとおりになることは少なく、大切な機会を台無しにしてしまうことも少なくないわけだ。考えてみればそういう世界が前提にあるわけだけれども、人間社会だけはそこから反した約束事でがんじがらめになっている。いつの間にかある程度は予測可能であると決めつけているかのようにね。でもそれがどうしても守れないときは、一体どうするのがいいのか。一概に答えがそこにないのは、はじめから無理しているからとも言えるね。もちろん契約書の中には、そういった細かい条件が長々と記されている。いくらそうしたところで、できないものはできないという身も蓋もない結論となってしまう。
姿勢
あとはあなたの普段からの思いというか姿勢によってその結末は大きく変わることになる。いつもしっかりと約束事を守ろうとすべてを投げ売って行動している姿があれば、多少の反故も許されるかもしれない。一方でいつもそのあたりはだらしがなく、誰かがきちんと監視していないと守れないような状況では、厳しい罰が与えられてしまうかもしれない。結局のところ同じ約束を反故したという事実であっても、その後の処置は大きく変わるわけだ。その部分でも、そういった社会的ルールに絶対性は乏しく、要するに気分によって変わるような曖昧なことであるとも言えるわけだ。だからこそ、そんなものは幻想だとも言われるわけで、自然界においては確実に起こると予測することは不可能であるという事実から反している。あたかも予測可能であるという前提条件を整えるために、都市が生まれ、街が整備されてきたわけだね。どこそこに何時に訪れるという日常でさえ、正確に運行する交通機関が整備されているから可能だと決めつけているだけのことだ。誰しも自然の一部に過ぎないわけだから、ほどほどでちょうどいいわけだ。
