スーパーマン社会
頭が良いとは
頭が良い人がやっている5つの習慣、とか頭が良い人のルーティンとか、頭が良い人ブームだね。それがベストセラーになっているところを見ると、頭が良い人にどうやったら見られるかを気にしている人が多いようだ。逆に言えば頭が悪いと思われることは、おそらくは何かと不都合なんだろう。そして頭が良いどころか、「あたおか」と呼ばれるあたまおかしいという言葉まで登場している。もちろんその言葉の元々の文脈は関西弁でいう愛すべきアホということなんだろうけれども、行き過ぎた頭の悪さはもはや天才と紙一重だということを意味している。バカの壁のヒットから、バカというものに注目しているのは、その反対の頭が良いとは、ということを知ることでなんとか世知辛い世の中を生き残ってやろうという魂胆だろう。少なくとも頭が悪いと言われるよりも、頭が良いと呼ばれたいということを多くの人が求めているのだろうね。
コンピテンシー
頭が良いという言葉のブームの前には、できる仕事術とか、できる人のメモの取り方、などどちらかというと能力主義的なそれがあったね。その反対はできない人となるわけだけれども、できないと思われたら損をする社会においてはできる人と思われるにはどうすればいいのか、という反動がそこに見え隠れしている。いずれにせよ、大人になればシゴデキなどと呼ばれる仕事ができる人や頭が良いというレッテルを求めてやまないわけだ。それはその評価軸が主体的な姿勢や、追求する胆力や、柔軟な視座など、急速に変化していく世の中に対応できること一般が求められているという大雑把な認識を多くの人が持っていて、それを手にするための方法を模索しているとも言える。しかしながらよく考えてみればわかるように、そんな聖人君子というかあらゆる方向から見ても完璧な能力を兼ね備えた人なんてどこにもいない。いわば幻想を追い求めて四苦八苦しているわけだ。なにかひとつ秀でていたり得意なことがあれば十分で、それ以外は「少し頭が悪い」のが多くの人に当てはまるだろうからね。
スキルセット
その結果、リスキリングとか生涯学習とか言われ始めたわけだ。死ぬまで学び続けなければ価値がなくなるどころか、老害という嫌な言葉が生み出され、社会の害というか邪魔者になってしまうという恐怖を植え付けられてしまったわけだ。バカの定義も、知識量や勉強ができるとかではなく、変化に柔軟に対応できない頑固さがそれだと言われたわけだ。即座に対応できる力は総合力であり、何かを習得すれば済むという単純な話ではない。だからそれを具体的にどうやって身につけるのかと模索したところで、実は誰もがよくわかっていない。だから先の頭のいい人というキーワードの書籍がベストセラーになる時代なわけだ。とりあえず頭が良いと思われている人のものまねをすればなんとかなると思っているのだからね。しかしながらもうお気づきかもしれないけれども、真似ることは学びの基本ではあるものの、結局のところそれは始まりであって、それ以降は自らのアクションが必須だということだ。いつのまにか全人的な能力しか勝たんという究極の能力至上主義の社会に巻き込まれてしまっているね。あなたの生き辛さの原点はそこにあるわけだ。
