お茶でもいかが?

日々

面倒

どうせやるなら、楽しくやったほうがいいね。いつも好奇心で心が満たされ、何をやるにも初めてのことばかりだ。それがどんどん歳を重ねるうちに既視感みたいな感覚にとらわれて、またこれをやるのか、面倒だな、と変化していってしまう。だからいつものように心が動かされるような関心事を見つけたとしても、そのプロセスが見えた瞬間に心が萎えてしまうわけだ。そうこうしているうちに、気がつけば結局今しかできない思いっきり楽しむということすら面倒事に分類されてしまうわけだ。そしてあなたはこう呟く。あの頃は楽しかったのに、とね。いろんな出来事が変わったわけではなく、あなたがそういう見方をするクセがついただけのことなんだけれども、その瞬間に一気に世界は灰色に変わってしまう。もっと楽をして、もっと短絡的に、結果だけを求めるようになってしまうと、ほとんどすべてのことはムダにしか見えなくなるからだ。しかし、その面倒事は本当に忌み嫌うべきことなんだろうか。そう思いつつもどんどん挑戦することに怖気づくことになってきたね。

いいとこ取り

だから、インスタントで楽ちんに結果だけを手にすれば、どれだけ幸せなことだろうという世界が生まれるわけだ。その世界ではほとんどのことは手続きが複雑で、あれこれと時間ばかり過ぎて思ったようにはいかないと感じているのはそのせいだ。もともと結果なんていうものに本来は価値はなかったし、そればかりを追い求める生き方はあとから教えられたものだ。幼い頃に、夢中になって秘密基地を作ったり、砂場で山を作ったり、泥団子を何日もかけて磨き続けていた。そんな世界は子ども時代のものだけであって、大人になればそんなやってもムダなことに時間を割いている余裕すらない。能力主義とか結果主義とかを押し付けられて、早く結果を求められる環境においては、昼食を食べるのでさえ、数分間で一気に流し込むという有り様が日常となっているからね。時は金なり、を超えて時は人生そのものなのだから、限られた時間を効率よく有効活用しなければならないという強迫観念があなたをいつも支配してしまっている。

便利さ

そういうときにこそいろんな方法論が生まれるわけだ。時短テクニックとか、人生の勝ち組になるためのメソッドとかに飛びつくのも無理はない。いつもあなたはもっと幸せな暮らしをしたいと願い続ける一方で、そのためにはムダを排除し、面倒事を避け、やるべきことを絞ることこそが幸せへ続く唯一の道だと思っている。しかしどうだね。その結果あなたの人生はあっという間に過ぎ去り、気がつけば何も特筆するべきこともない日常におぼれてしまっているのではないかな。じっくり昆虫採集を楽しんだり、路傍の草花をゆっくり観察したり、好きな小説を味わってその世界に耽ったり、そんな時間がどんどん失われてしまっている。そして今はそれを後押しするテクノロジーであったり、思い立ったらいつでも始められるという環境が整えられてきている。それをどう使うのか、が問われる時代だね。便利さは、せっかくの楽しみを奪っている悪魔であると言っても良い。不便だったり面倒だったり、手続きが多い状況の方が、毎日があれほど楽しかったという思い出だけが、今のあなたに残っているだけとなっているわけだ。