信じ抜くということ

日々

挫折

成長するには必ず挫折が必要だね。そういう視点では挫折は後ろ向きなものではなく、限りなく前向きなことの出発点だとも言える。しかしながら挫折はできるだけ少なくしたほうが精神安定上良いと思って、失敗を避けようとする行動をいつも取ってしまうわけだ。それが首尾よくうまくいくと、あなたの心は安定するかもしれないけれども、それ以上の何かを得られる機会をすべてなげうったという代償の方が大きくなってしまうね。良かれと思って失敗する前に、挫折してしまって心が折れてしまう前に、先回りしてアドバイスをしてしまうことが多くなってしまうと、学びの機会はどんどん失われてしまう。それによる機会損失はいつの間にか膨大なものとなってしまうね。だからあまりに心が折れてしまうことばかりでもダメだし、かといってちょっとした失敗を避けてしまうのも同じような損失となる。それらのちょうどいいバランスが取れたところで、成功も失敗もまるごと経験することが、一番学びのとっては最適化されている状態なわけだ。

姿勢

そういった失敗も恐れない姿勢を保ち続けるためには、まずはなにがあっても安心できる自らの居場所が必須となる。それを持たないまま、いくら失敗しても何度でもやり直しはできるよ、と言われたところで傷つくのはその助言した誰かではなくあなたなんだから、当事者性としては希薄となってしまう。それが続いてしまうと信頼という関係性が崩れてしまい、すべてにおいて疑心暗鬼となってしまうわけだ。疑い深く慎重だということそのものはそれほど悪いことではなく、むしろ思慮深いという意味ではまだましな態度なんだけれども、それが行き過ぎるともはや視野狭窄に陥ってしまって、身動き一つ取れなくなっていまうから逆効果となる。昔から慎重かつ大胆に行動せよと言われてきたように、ビビりながらもとにかく小さく行動に移すという繰り返しの連鎖がそこで停止してしまうと、もはや生きながら死んでしまっている状態に陥ってしまう。そんな状態では成長だの成功だの幸せだのという夢や希望はどんどん遠ざかってしまうわけだ。

どっちが先か

信頼することが難しくなってしまった状況において、それでも思い切った決断をしようとしたとき、やっぱりいつか裏切られてしまうかもしれないという恐怖に打ち勝つにはどうすればいいのか。答えは一つで、一旦信頼関係を再構築するしかすべはない。それも他人をどうこうということではなく、自らを信じる切るという勇気が試されるわけだ。そうやって自己肯定感を取り戻すことができれば、すべては動き出す。けれども、それがどうしてもできない場合は、自らのそれではなく、誰か信頼できる人を探し回るしかなくなってしまうわけだ。この人になら裏切られても仕方がないと思える人を探す旅がそこから始まるわけだけれども、結局のところそれはその決断をした自己責任という落とし所で納得せざるを得ないね。そんな遠回りをするぐらいなら、誰がどうであっても気にせず、あなたがあなた自身を担保として動き出すことが一番の早道となる。そしてたとえそれで、やっぱりできなかったとしてもそれをも超える確信というか自信があれば、多少躓いたとしても次こそはという挑戦は止まらなくなるだろう。