そばにいたいよ

日々

良かれと思って

身近な人でも通りすがりの人でも、目の前で起きている困りごとがあれば、何とか解決してあげようと一緒になってあれこれ調べ始めるね。でもなかなか難敵で、すぐに答えが見つからないとなるともう大変。やばい、おかしい、変なもんに手を出してしまったなぁなんて思い始めちゃう。時間だけが過ぎていって、初めの余裕も吹き飛んでしまう。あれもダメ、これもダメが重なってどんどん焦ってついにはイライラしてしまう。元々は乗り掛かった船というか、ノリと勢いで安請け合いしたこと。ただただ何か役に立てればという一心だったあなたの表情がみるみるうちに曇ってくる。となると、それを待つ相手にもあなたの心の曇りが伝わって、なんだか申し訳ない顔が二つ並ぶ姿となってしまう。もう、「助けてー、ドラえもーん」っていう状態だね。

欲張らない

そうなるのは元の純粋な思いが、どこからか湧いて出てきた欲望に汚れてしまったからなんだよ。何とか役に立てるんじゃないかなーと直感で請け負ったけど、その気持ちを邪な欲望が一瞬で色を塗り替えた。そう、「ああ、あなたは恩人です。どうもありがとうございます。お礼をさせてください」なんて言われるあなたを夢見ているのは、そういうわけ。で、かっこいいお助けマンのあなたを見せたくてしょうがない。もう内容はどうでもよくなっていて、それを見せることにいつの間にか意識が向かっているよね。何ともこの欲望って奴は油断ならないやつだね。欲望の邪魔さえなければ、そこにあるのは、純粋にどうなるかわからないけれど寄り添い合いましょうということだけだったはずだね。だから、上手くいけばラッキーぐらいな気持ちでうまくいっても、いかないとしてもそれ自身を一緒に楽しめばいいだけだよ。無事解決できれば儲け物。ダメだったとしても力になれなくてごめんなさい。でも本当に「ごめんなさい」しか残らないのかな?

何に恐れているの

そうやって何度か解決できるカッコいいあなたを見せることが出来ないと、だんだん気軽に安請け合いすることを躊躇するようになる。手を差し伸べて、助けるという行為の本質は何をやっているかというと、それは一緒に同じことに悩むこと。それだけが本質。結果、何かがどうなるとかはおまけみたいなものだね。成功も失敗もないのよ。ましてや、誰かに感謝されたい欲望を向けるものではないね。あなたの本当の魅力は、何でもお気軽に関わって笑顔でそばにいてあげられることだよね。そして偶然にもそうしてあげられる時間を一緒に過ごせること。これ以上の奇跡はないよね。そこを勘違いすると、誰とも何にも関わらないようにあなたはあなたの気配を消して生きるようになってしまう。そんなふうになってしまうと、何のためにあなたはそこにいるのかわからなくなるよ。それが一番の不幸になるよね。だからもう、奇跡的にそばいられる時間そのものを楽しんで過ごそうよ。それだけのために生きているんだからね。