全部やり尽くす
全力
今を生きるとか、今できることをする、なんてよく言われるね。そしてあなたはそれを苦行に変えてしまうクセがある。それは今を充実したものにするためには、少々の苦難をも忌み嫌うことなくそれこそ全力でやるべきだと勝手に変換してしまうからだ。でも今できることを全部やるというものの中には、ダラダラ過ごすとか、とりあえず寝っ転がるとか、怠惰な時間を過ごすことも含まれているはずだ。いやいやそんなことでは、全力で生きたとは言えないと反論するだろうけれども、今できることはもちろん全力で困難に取り組むこともそうだし、そんな面倒なことは後回しにしてとりあえずボーッとすることもそうだ。そこに優劣は本来的にはないにも関わらず、あなたは前者しかないと思っているだろう。ちょっと一息のつもりでのんびり過ごしてしまってもそれはそれで今できることをやったのだから、それでいいのだ。逆にそれがちょっと心残りに感じるのであればまた違う何かを始めればいいね。すなわち今できるということには無限の可能性がそこに広がっているわけで、それをいやいやながらも苦行の方を選ばないといけないという理由はどこにもないわけだ。
くつろぐ
しかしながら全力でくつろぐなんていう感覚はあなたにはそもそも違和感でしかないだろう。それはこれまで教えられてきた努力は尊く、怠惰は悪だと教えられてきたからに過ぎない。怠惰とわかっていればわざわざそれを選ぶことはないだろう。けれどもどうしても力が入らないときに無理をしてでもそれと戦わなければならないという前提条件が、あなたをますます陰鬱な世界へと引きずり込むのならば、一旦そこは休んでも問題はないわけだ。そうしてずっとダラダラ過ごすことも今を生きることであり、それを気が済むまでやればいいだけだね。やがてそれがあなたにとって必要な休息を超えたと感じた時、あなたは次の手を探し始める。もっと楽ちんな方向へ舵を切るのか、それとももう少し負荷がかかる道へ進むのか、それはもちろんあなただけが決められることだ。それに優劣をもしあなた自身が感じるのならば、あなたの心の声を真摯に受け入れるだけで十分であろう。そこに嘘を付くと、あなたにそれが一番跳ね返ってくることはすでに体験済みだろうからね。
苦しさ
要するに、自分の心の声に素直に受け止められるか、そうでないかで毎日の充実度が左右されているわけだ。ちょっとダラダラ過ごしたあとに、ちょっと気になることを片付け始めたりすることが日常であり、あなたの人生のすべてであるわけだ。いつも全力疾走でなければならないとか、少しでも気を抜けば足元すくわれてしまうようなのっぴきならない状況でないと充実しないとか、そんなことはあなたが誰かに植え付けられた幻想でしかない。よく子どもたちがゲームばかりに夢中になって、そのほかがおろそかになっていることを大人は注意するけれども、それはとことんそれをやったほうがいいわけだ。それによって生活のリズムが崩れて体調不良になったり、どこかで無理が生じて他のことができなくなったりすることも必要悪だろう。そうすることで、必然的にそればっかりをやることすら困難となって襲いかかってくるわけだ。そこでどうするかを考えることが人生の転機となるわけだし、それは仕事ばっかりやって他のことがおろそかになっているあなたにも当てはまるだろう。結局は同じことなんじゃないかな。
