世界の活用
思い通り
支配欲というか、あなたが成功したと感じたり、うまくいったと感じることはすべては思った通りになったときだけだね。そんなときは幸せだと感じている。すなわち幸せの正体とは、あなたの予測通りに物事がスムーズに起きたときだ。しかしながらあなたが思考という予測で生み出したその結果は、本当に幸せだと言っていいのだろうか。本来は自然の一部であるあなたは、予測不可能であり不確実な偶有性に包まれて生きている。だからこそそれを凌駕してそれをも跳ね除けて予測不可能だと言われているところを、まるで神様のようにすべてを支配下に置くことができるような力を得た気になることを幸せと呼んでいるわけだ。逆に言えば逆に、何が起こるかよくわからないその他大勢の人たちと同じように、思わぬことが起きて思ってたとおりにならなかったときに、あなたは陰鬱な気分になる。あれ、なんだかおかしいとそこで気がつくだろうか。
振り回される
そうやって、誰かの成功体験に追随しようとそればっかりを追い求めているわけだ。そしてそれが叶ったときに幸せだの成功者だの言う定義を無批判に信じてきたわけだ。そうやって幸せとはなにかという内省をせずに、そこらかしこに落ちている誰かの幸せを追い求めているわけだ。そしてそれが叶わないとき、やっぱり自分は不幸せだと再確認して、まだどこかに落ちている偽物の幸せを拾い集めようと必死にもがいてきたわけだ。幸せの本質は誰かのそれではなく、自らの生き様そのものにしかないものだね。でもそれ自体を気が付かないままで、いわば半分眠ったままで生きている。だからあなたはいつも不幸だと思いこんでいる。要するに幸せの本質を求めているつもりで、実はまがい物を信じ込んでいるから、あなたはいつも苦しみから逃れることがないし、たとえうまくそのとおりになったとしてもなんだか浮かない顔をしているわけだね。
創造すること
しかし、それが絶対悪と言うのも早計すぎるね。あなたがあなた自身を内省するとき、なにか材料があったほうがより深く観察し考察することでそのレベルはぐっと上がることも事実だ。だからとりあえずベンチマークの対象としての誰かの幸せの形を知ることは必要なわけだ。それを元にあなたならどうする、という問いに変換して、それらを磨いていくことでより高度化することができる。それをしないでそのまま真似することばかりでは、いつまでも既製品を無理やり着こなすことしか方法はなくなってしまうわけだね。結果、なんとかそれを達成したとしても、これじゃない感がいつも付きまとうのはそのせいだ。だからあなたが本当に幸せだと感じるときを過ごしたいと思うならば、これまでのモノマネから一歩先を探る必要がある。これも思考という方法だけに頼っていては、いつまでもそこから先は生まれない。実際に真似して体験した結果を、さらに深堀りする必要があるわけだね。結局のところすべてはあなたの幸せを構築するために、それらはそこにあるものだと気づくことになるだろう。
