神と自然

日々

創造主

あなたはいつもあなたを支配している。あなたを見ているもう一人のあなたがそこにいて、あなたの行く末をいつも見守っているからだ。ここで頑張れば、未来は報われるとか、そうであるけれども、ちょっと今は休憩中だとか、明日になればあれをやろうとか、すべての指示はあなた自身の来たるべき未来のためのものばかりだ。あの人に好かれるためには、ここでこうしようとか、来年からの収入を増やすためにはこのスキルが必要だとか、そんなことばかりが頭の中でぐるぐると駆け巡っている。健康や安全についても、あなたはある程度はあなたの行動によってコントロールできると信じているし、あなたの普段からの立ち振舞によってあなたの将来的なポジションは確保されると思っている。すべてはある一つの計画がすでにあり、あなたがそのとおりに進んでいくことができれば幸せであり、そうは言ってもそのとおりにはおぼつかないままだとくそったれの人生だと嘆いている。それらすべての根本はあなたがすべてを司っているかのように思っていることだね。

自然

思ったようにいかないとき、あなたはそれは自然のことだから仕方がないね、なんて呑気なことを言っている場合ではないと思っている。あなたぐらいの叡智を持てばそれすらもうまくいなしたり対応できたはずだと反省をするわけだ。突発的な出来事に対して、冷静沈着に対応することができずにみすみすチャンスだったかもしれないその大変化を掴むことができなかったと落ち込んでしまうのもそのせいだ。自然相手になんとかできるなんて思うことは、神様でも無い限り無理な話だとは思いつつも、なんとかなったんじゃないかという自然をも包摂できる包容力とか応用力を身につけられたのではないかと考えている。まるでこの世の神様のようにね。もちろん普段はそんなつもりは全くないし、自覚もないだろう。けれども、仕事にせよ、恋愛にせよ、ギャンプルでさえもあのときこうしていればなんていうことが一瞬でもよぎるのは、もはや自然をも支配できるという視点がそこにあるからだ。だからあなたはそれをずっと思い悩んでいる。いつかはあなたも神様をも超えた存在にもしかしたらなれる瞬間を待ち望んでいるのだからね。

僥倖

身も蓋もないことを言えば、あなたはそうやってずっと思い上がってしまっている。もちろん謙虚さと尊敬という視点も持ち合わせているし、普段から驕り高ぶることなんてそれほどないだろう。しかしながら一方で、自分のことは自分でなんとかできるはずだと思っているし、我が子や身近な親しい人は自分がなんとかしないといけないと思っている。その時点であなたはすでに神様目線であることに注意しよう。のどが渇いた人を水飲み場まで連れていくことはできる。けれども、実際にその人がその水を飲むかどうかまではコントロールしようもない。なのにあなたはせっかく連れてきてあげたのだから、嘘でも飲みなさいと思ってしまうわけだ。それぐらいあなたはあなたを含む世界のすべてを無自覚に牛耳ってしまっている。なぜなら、それを学んだり体験する幼少期の不確実な世界の様子が絶対的に不足しているのが原因だ。あなたは守れた環境にずっといて、そこからこれまで一歩も出たことがない。だから、本当の自然をもコントロールされたそれしか知らないわけだ。ありのままにいるという本来の意味は、あなたも自然の一部であるという自覚を促している言葉なんだからね。