ムダ最高

日々

めんどくさい

いつもあなたは面倒だと思うクセがある。めんどくさいことをいかに楽にやり過ごすかということが人生の大きなテーマとなっているわけだ。それは勤勉な姿勢や実直さや真面目さが美徳とされる一方で、面倒なことをいかに楽に効率的に処理するかとの戦いでもある。真面目に一つ一つ丁寧に処理をしていくことの素晴らしさの一方で、今の時代そんな非効率なことをしていては、生き残れないと煽る人もいる。あなたはその狭間に揺れ動いて、自らの選択を常に求められているわけだ。面倒なことを楽しいことに変換することもできるし、大いなるムダだと言われるそれらをライフワークとして取り込んでしまうこともできる。さて、いずれの選択があなたにとってベストソリューションなのか。そんなことですでに頭がいっぱいになっているわけだ。もっと合理的に突き詰めるならば、そんな選択の悩みや躊躇こそ、ムダの極みだと言われてしまうぐらいの時代となりつつあるね。

旧態依然

まだスマホやパソコンが普及していなかったとき、あなたは朝起きて新聞を読み、テレビのニュースを見ながら天気予報を聞きつつ、身支度をしていた。必要最低限の情報をそこから読み取り、今日という日をどう過ごすのかを考えていた。いつもポケットには手帳とペンが忍ばせてあり、いつでも気になることやスケジュールはそれを見つつ思案していたわけだ。現代ではそれらがすべてスマホにとって変わり、ペンを使う機会もめっぽう少なくなったね。手書きの時間さえ惜しむようになり、思いついたことは音声入力でばっちり記録できるようになった。もはやあなたは思いついたことを、スマホという優秀な秘書に任せっきりでほとんど大丈夫となった。もちろん今でも紙とペンを大切にしている作業もあるだろう。けれども、かつてのそれらのルーティンワークは、非効率だと言われてしまうようになった。まだそんなことで消耗しているの、と言われてしまうようにね。

ムダの本質

よく考えてみれば、現代ではムダだと一括りにされてしまうそれらは、人生の楽しみの一部だったわけだ。小さな手帳のほんの僅かなスペースに小さい文字で書き込んだ情報は、あなたの行動基準であり、記録としても最小限で最大の情報量をそこに詰め込もうと必死だった。いかに端的にかつ網羅性の高い言葉を紡ぐためにあれこれと工夫をしていたのだからね。いまとなってはそんなことを考える時間さえムダとなるわけだけれども、思い返せばその繰り返しによって今のあなたの世界が生まれているとも言えるね。よく考えてみればムダだと思われているすべてが、あなたの愛しい人生そのものだったということに、効率化の現代社会が教えてくれているわけだ。面倒ごとはすべてAIが処理してくれる時代が到来したがゆえに、あなたの古めかしいその技術はかえって脚光を浴びることもあるだろう。そう、実は人生は面倒であり、非効率であり、非合理的なものなんだということ。そしてそれらを仮にAIがすべて代替してくれるのならば、もはやあなたすら不要となる時代がもうすぐそこまで来ているということだ。