魔鏡
苦手
誰にでも得意なことと苦手なことがあるだろう。すべてを完璧にこなすことができるなんていう人は稀だね。そしてそんな人ほど、スーパーマンとして脚光を浴びることは少なく、なんでもできる優秀な人としてやや便利屋さんのような存在になってしまうことが多い。そんなことよりも、ある分野では誰よりも秀でているけれども、多くの人ができることがからっきしだめという人の方が愛されるし、なぜか注目を集めることが多い。すなわち、なんでもできる完璧は求めてはいけないということだ。まんべんなくできるようになることが良いことだと教えられてきたせいでもあるけれども、苦手なことをなんとか努力して普通にできるようになるエネルギーがあるのなら、得意なことをどんどん磨いていったほうが良いね。そんなことで消耗しているから、あなたの本来の喜びはなかなかやってこないわけだ。
苦労
そうやって、できないことをことさら見つけて強調し、他の誰かと比べることで劣等感をもたせ、それができないと皆と同じようには生きていけないと脅迫され続けてきた。それが横並びの義務教育の根幹だからね。ある程度凸凹のない、均質な能力を身に着けさせるためのそれだから、その目的がうまく達成したら、将来は優秀な働き手として活躍の場を与えられるということでもある。だからいろんなことを体験して吸収する幼少期でさえ、それに備えて知識を詰め込んでまで覚えようとしているわけだ。それがお受験と呼ばれるものであり、親からすれば自らが感じている苦労を少しでも減らすことができればと思い、一縷の望みをそこに託しているとも言えるね。だから年々公教育よりも、この子のためという何かを探す親が増えている。苦労は買ってでもしなさい、なんていう言葉はすでにお受験を若い内にという意味に変わってきたのかもしれないね。
得意
なにか好きなことに夢中になる時間は、人生の本来の体験そのものだ。それこそがかけがえのない今の今にできることなんだけれども、それを抑えてまで将来の安泰さを求めている。逆に言えばどれぐらい今が苦しいのかということでもあるわけだ。もちろん、だからといってすべてがうまくいくなんて思っている人はいないだろう。それでも偏差値や学歴による選別を選ぶことになるのは、おそらくそれで今なんとかしのいでいるか、それができずにとても苦労しているからだ。我が子にこの不要な苦労はできれば避けて生きていけるようにという切実で真っ直ぐな思いがそこにある。それぐらい生きていくために必要なスキルが人生を決める決定打となる社会だということだね。そしてそれは無自覚にそうする親が担っており、その期待からなかなか偏差値や学歴は消えないままであるわけだ。世の中はそういう多くの人の思いで浮かび上がっているのだよ。
