同じようで違うこと
統制
あなたはどちらかというと、きちんとルールを守るべきであり、そのためには普段からコツコツと努力をすべきだと思ってきただろう。そしてそれに共感する人を仲間だと思い、それ以外をそうではない人だと区別してきた。ところがそれをずっとやってきたのにも関わらず、それ故にうまくいかないこともたくさん経験してきただろう。一つになることが一致団結したチームワークであり、それを目指して頑張ってきたわけだ。しかし今の時代は多様性とかそれぞれが少しずつ違っている価値観を認めなければならないという時代の変化や要請がそこにあり、なかなかそのとおりになったことはない。実はそこがまさにキーワードであって、皆がすべてにおいて同質であることのほうが珍しく、これまでもこれからもそこを目指し続けていっても、それを実現することはほぼほぼないだろう。もっと言えばそれこそが幻想であって、たとえそうなったと感じたとしても、それこそが偽りの状態であり幻想だと気がついたとも言えるね。
中心
物事にはすべて中心となるコアがあり、それに従うことによって美しい完全一致を目指すべきだという価値観は、おそらく幼い頃に教わったそれだろう。しかしながら、一方でそれはいまだかつて実現することなんてなく、ちょっとした差異を捨象した結果であって、それでも一つの目標に向かうことはできたわけだ。だからそのディテールをしっかりと捉えて、たとえ根本的に違った思想や理想がそこにあったとしても、擬似的にそうなることは可能だということを学んできたわけだ。目的をしっかりと捉えて、それぞれの思いの違いをこれまたしっかりと認識しつつも、それぞれのやり方でそれぞれの歩幅でそこへ向かうことが、実はその正体であり、違っているから排除するべきだという二元論的な区別は必要ないということだね。それが個性であり、そのほうが自然であり、すべての価値観を統制したり矯正したりすることこそが、組織としての脆弱性を顕在化することになるわけだ。もっと言えば違っている個性がそのままであることが、組織としてのある種の強みとなっているのだからね。
バラバラ
そもそも個人はバラバラであり、いろんな世界をそれぞれが生きている。仮に同じ景色を見たところで、その惹かれる部分は同じであることは稀だね。でもそれでいいわけだ。あなたと違う誰かがあなたのそばにいるということだけで、あなたを補完してくれる貴重な存在でもあるのだからね。それを同じでないとだめだと決めつけたとたんに、あなたの弱みを埋め合わせてくれる仲間は排除されてしまうわけだ。そうではなく、違うからこその仲間であり、ばらつきがあるからこそ総体としての盤石な基盤となっている。そこを勘違いしてしまうとどんなに徒党を組んだとしても、相乗効果は得られないということだ。だからみんな違っていいという本来の意味はそこにある。しかしながらそれではまとまりがなく、とりとめもない人たちがそれぞれ好き勝手やっているだけの集団と感じてしまうのは、あなたの価値観がすべて正しさでできていると勘違いしているからだ。それはすべてにおいてそうであり、あなたの幸せがすべての幸せではないように、逆もまた然りで、あなたの最悪はすべてのそれでもないということだね。
