あなたは自由

日々

自由と制約

根源的にはあなたは全く自由に生きている。そう言われてもいろんな制約ばかりで、あなたは少しもその自由を感じられないで過ごす毎日だろう。でもどう考えてもあなたはいつでもどこでも行ける力が備わっているはずだ。そうであるはずなのに、そうは言ってもやりたいことは先延ばしだし、条件が揃わずにイライラしている。どうしてもやりたいからなんとか調整したのにも関わらず、突発的なのっぴきならない出来事がやってきてそれを邪魔するわけだ。これのどこか自由なんだ、と憤ることが多いかもしれない。しかしながら、そうであってもあなたはそれをやらない選択肢はいつでも残っている。いやいや、それができないから不自由なんだと思っているだろうけれども、それでもやらない権利は与えられているはずだね。あなたはすべてがわかっていて、それらを勘案したところで実際の行動を決めているはずだね。

生殺与奪

例えば今の仕事はつまらない。けれどもそれをやめてしまったら明日の生きる糧が得られなくなる。だからいやいやでもなんとか耐え抜いて続けている状態だね。でも冷静に世の中を見渡せば、仕事や組織はいくらでもあるのもわかっている。あなたにとってふさわしい場所がきっとどこかにあるはずだという実感もあるだろう。なら、どうしてそこから移動しないのか。それはそうしたところで、次の場所ですべてが叶うわけではないということを恐れているだけのことだ。それはそのとおりで、あなたがすべてにおいて満足する場所なんてどこにもないということを完全に理解している。それもまたあなたがそう感じているということは真実だろう。なら、仕方がなくその場にいて我慢し続けなければならないというロジックになるしかないと思い込んでいるけれども、それは本当に正しい論理的思考なのかと問われたならば、あなたにとってはとても耳が痛い話となってしまうね。

受容

そういったことに気づいているから、かえってあなたがいつでもどこへでも行けることが邪魔になるわけだ。なぜなら、もうこれしか方法はないんだと思い込むことで、あなたの言い訳として成立する助けになるからだ。だから不自由だとか不幸だとか騒いで同情を得たほうが、あなたが自由度が上がる戦略を選択している。しかしながらそれは表面的で一時的な言い訳とむりやりの納得のためでしかない嘘をついているだけのことだね。そして実のところそれも十二分にわかっているはずだ。だからいつも心の中がモヤモヤして過ごすことになっている。嫌なことを嫌だと言えず、好きなことを好きだといったらその責任が生まれるのを恐れている。好きなことをやってますなんて言ってしまうと、もしそれがそうでなくなったときの言い訳がなくなってしまうからね。すなわちあなたはどこまでも完全に自由であるという紛れもない事実がそこに横たわっている。そのことを真正面から見つめられずにいるだけなんだよ。