戦争と平和
支配
ときに正しさは暴走して、人殺しにまで発展してしまうね。どちらが正しいとか、どちらが間違っているとか、そういう価値観や世界観が異なることがあっても、人殺しはどう考えても正当化できないはずだ。というのも、それを良しとするのならば報復合戦が繰り広げられることを受け入れるということだからだ。すなわち無限の負の連鎖を止めることができない。もちろんどこかで一旦終わるように見せかけることはできるけれども、それは見かけ上の都合でそうなっているだけのことだろう。やられたらやり返す、この連鎖が持つ最終ゴールは絶滅でしかないのだからね。生物の生存本能とは全く次元が違う、いわば不自然な思想であり反応だとも見えるわけだ。
裏側
しかしながら一方で、戦争は止むことはない。情報の非対称性によって、それのエネルギーはどこまでも不均衡であり、それらを駆動する力となるからだ。誰かが仲裁したところで終わるような簡単な話ではなく、その背後にはわざわざ焚き付けて漁夫の利を得ようとしている連中がいる。すなわち、誰かの喧嘩は誰かを太らせるわけだ。そうして膨大なコストを支払い、これまでの構造物を破壊し、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返させることで、また誰かの懐が潤うことになる。文明なんて完成されてしまうと、誰も儲からないショボい世界に陥ってしまうところを、ドカーンと一発リセットすることで、また復興という経済活動が必要となるわけだからね。人がこれまでやってきたことは、作っては壊し、掘り起こしては埋めるという馬鹿げたことばかりだね。
大義と正義
正しさと平和の旗の下で、戦争が終わらない。なんて矛盾した世界がそこに広がってるのだろうね。人々が集まってムラとなり、それらが合わさってクニとなる。それが大義を持ち、その概念を維持するために他のクニの人を攻撃する。人類の叡智なんてそこには微塵にもなく、恨みと妬みと恐怖と深い悲しみが渦巻く世界がそこにある。それが個々人の正義となり、それに異を唱える人をこれまた抹殺しようとする。すなわち戦争は対外的にだけ起こっているのではなく、内部紛争と強制的な同調圧力の両方で人殺しをしているわけだ。冷静に考えればそんなことはなんの意味もないということは言葉では理解できている人が多いだろう。でも、あなたの身近な愛する人がそれに巻き込まれたならば、あなたの感情はそれほど冷静ではいられないだろう。そしてまた歴史は繰り返されてしまうということだね。
