不可解なこと

日々

不確かさ

どうも人生は思っていたようにはいかないものだね。楽しみにしていたことも、思わぬ出来事で叶わなぬ夢となってしまうし、予想した通りに進んだと思えば最後に番狂わせな事件が起きる。そんなつもりではないあなたの発言が、いつの間にか独り歩きして全くあなたの意図と違った振る舞いをし始めてしまう。なんだこの世界はと毒づいたりしてみても、だからといって好転の兆しすら全く見えないわけだ。何かを支配しようとして必至にもがいてきたけれども、あっけなくそれは違う結果となってあなたに襲いかかってくる。それが人生の醍醐味だなんて人は言うけれども、あなたにとってはそれのどこを受け止めるべきなのかは全くわからないままだ。

原因追求

だからその対策として、そうなる要因というか原因について先回りして予想し、その対策に追われてきたわけだ。ところがどれほどその精度を上げたとしても、ほぼほぼ予想外の出来事からは逃れられないし、たとえ首尾よくうまくいったと安堵した途端に、その続きが起こったりするわけだ。まさかそこまでの予測は立てておらず、後手後手な対応を迫られてしまうわけだね。それらの原因探しに奔走して、次の対策など打てる気すらしなくなる。ようやくそれで収まったとしても、その静けさにかえって恐怖を感じてしまう毎日が続くわけだからね。しかしながら、先人たちはそれこそが人生の本質だと言う。けれども、あなたにはその言葉の真意など全く理解できないままでいるだろう。

わからないこと

結局のところ人生とは、わからないことの連続であり、それこそがあなたがこの世に生まれた真意でもあるということだ。したがって仮に思い通りにほぼ予定調和的にこれまでほぼほぼ完璧だとまでは言えないものの、おおよそ狙い通りに生きてこれたと思っているそれは、あなたの人生を生きてきたわけではないということと同義となるわけだ。すべてはある程度コントロールできて、あなたの意思と狙いどおりにおおよそうまく折り合いをつけてここまできたと思っていることは、実はほんの一瞬でもあなたの人生を生きてこなかったということでもある。支配とかコントロールなんていう概念自体は、人生の蚊帳の外のことであって、それらに説明させることができるのは、あなたを放棄した時間だということの証明となってしまうのだからね。だから今あなたは苦難に直面しているとすれば、それでいいということだよ。