運ばれるもの
運がどんどんよくなる方法
最近はなんだか運が悪いというか、ついてないんだよね。そのせいか何だかエネルギー不足というか、やる気もいまいち起こらないんだよ。でね、ようやく重い腰を上げて懸命にやったんだけど、どうもいまいちな結果しかでない。ああ、いつになったら俺にも運が巡ってくるのかなぁ、なんて思って本屋にいけば、夥しい量の「開運本」がやたら目につくね。その一方で、今まで何とも思ってなかった友達が、急に頭角を現して注目され、みるみるうちに成功していく様をみると、あいつは単に運がいいだけなやつだ、なんて皮肉を言ったりもする。運が巡って欲しいと上に見たり、かと思えば単なる運だとして下に見たり、一体どっちなの?もう何が言いたいのかよくわからないね。
開運祈願、開運招福
運を味方につけて幸せになりたい。そう思って何かを願ったりするのは、今は到底幸せじゃないという前提だよね。やれることはやってる。むしろかなり努力している方だと思う。それでもうまくいかないから、もうあとは運任せだ、神様仏様お願いっていうことだね。そもそも幸せに包まれている人や成功していると思っている人、充実した毎日を過ごしている人はそんな風にはお願いしないよね。神社仏閣では「開運」と記してあるところが多いけれど、開運は文字通り運が開けるということ。運は自然と運ばれてくるもの。きちんとそれをわかってお参りしてる?開運って、要するに自然に運ばれるがままそのままを受け入れて、おおらかに生きるということだよね。今幸せになりたいと願っているそこのあなた。うまくいかないのは、その自然に運ばれてきているものを拒絶したり、選り好みしたりするからってことだってその神様は言っているよ。それを太古の昔から伝えている神社に向かって、「どうかもっとお金持ちになれますように、パンパン」なんてお願いしているのはおかしなことだね。いやいやだからそうじゃないって、ずっと伝えているのになーって、たぶん神様も向こうで笑っているよ。
運がすべて
自然の流れで、様々なことが途切れることなく運ばれ続けているね。それをあなたは不満に思って、努力すれば、なんとかもっといいものが運ばれると思って拒絶して、「これじゃない」ともがいている。さらに、開運を司る神社に向かって、「どうか私が望むものを運びたまえ」と神様にお願いしている。その願いを叶えるためには苦労も厭わないし、がむしゃらに頑張りますからとあなたは言う。滑稽な景色だね。すべては運なのよ。むしろあまり頑張ったりとかしない方がいいかもよ。それが運の流れを悪くしてしまうからね。あなたが生まれていまここにいることも自然が運んできたからこそなんだよ。まさに運の巡り合わせだよね。運ばれてくるものに対していろいろ拒絶したりしていても、それ以上のありあまる自然の恵みという運をはこんできてくれているからこそ、今そうやって神様に文句を言えるんだよね。開運の神様にお願いするとしたら、「わがままを言えるぐらいの運を運んでくれて、いつもありがとうございます」だよ。まぁ、なかなかそうならない光景を見て、たぶん神様もむこうでずっと笑っているはずだね。そう思わない?