AIが感覚を持つとき

日々

五感

AIが台頭している時代、ヒトがそれを凌駕できる部分は五感や直感という感覚的なものとなるね。論理的な整合性や長期記憶は膨大なデータ領域を持つAIには到底叶わない。でも、なんとなく感じることや、そこにコンテキストを生み出す力はまだまだAIには難しそうだ。とはいえ、日進月歩な進化を遂げている現状からは、それももはや強みと言えなくなる日がそんなに遠くないかもしれない。けれども生きるという実感というか、共感みたいな感覚が実現できるようなアルゴリズムが発明されるまでは、あなたはやっぱりAIを使う側としてしばらくはやっていけるだろう。知識量とか論理思考はもはや外部ストレージやエージェントとして利用する時代にはなったね。

物知り博士

ちょっと前は、細かいところを覚えていること、すなわち物知り博士が重宝された時代だった。なんでも聞いたらすぐに答えを教えてくれるような存在は、とても優れているそれとして評価もされていた。ところがそれはAIが肩代わりする時代となって、あれこれと時間とコストをかけて覚えた様々な知識は、自ら体験せずともAIに聞けば数秒で教えてくれる。そこで大騒ぎしているのだけれども、あなたの頼りない記憶よりも正確であるからといって、それが万能でもないみたいだ。あたかもそれが正解かのような見事な回答にも、嘘が大いに混じっている。そこの部分は記憶が曖昧になっているあなたとそれほど違いはない。だからといって使い物にならないかどうかは、その使い方によるわけで、あなたのポンコツさと比べれば単純な知識についてはどうやら勝ち目はないようだ。

体験

情報化社会となって久しいけれども、実は言葉化できない情報はまだまだそこかしこに存在しているわけではない。したがってAIが不得意な領域はまさに言葉化できないそれらだ。だからぼんやりとした感覚やなんとなくそう感じたという得も知れない気持ちの部分では、真似はできても実態は掴めない。だから誰かに相談したら解決するような簡単なことすら、AIには見えない世界となるね。そこが今のところの限界であって、いずれはそこも超えてくるかもしれないけれども今のところその方法はかなり困難でもある。思考という部分では言葉という道具がないと、論理的な収斂がつかない。けれども思考だけで人生すべてを表すことはまだできない。感覚がデータ化されたとされたとしてもセンサー値がそうであって、実際はどう感じているかなんておそらくはまだまだ先の話となるだろうね。