夢と体験

日々

体験

生きることの本質はすべて、体験することだと言っても過言ではない。あなたは今ここに生きている以上、何かをやれば何かを感じる。逆に眠ってしまっている時間では、夢をみることがあるけれども、それらはこれまでの体験の欠片がランダムに出てくるよくわからない映像でしかない。だから夢とは、意識がはっきりとしているときの体験を整理しているとも言われているね。もちろん稀に明晰な夢を見ることもあるけれども、それらもあなたが知らないことはそこには生まれないことがほとんどだ。知っている断片がおかしな順番で出現することで不可思議なものとはなるものの、一つ一つはどこかで誰かに聞いたようなことや、知っている人やこれまでのイメージでできている。起きている今でも予測不能な状態は変わらないけれども、あなたはそれを順次処理をして受け止めることができる。

理解と分類

そうして論理処理していくわけだけれども、感覚的には快、不快で大雑把に分類されていくわけだ。心地よく感じていることなのか、そうでないのかという事象として記録されていくね。そして心地よいことをたくさん経験したいと欲し、それ以外はできれば遠慮願いたいと思うわけだ。それを幸せだとか不幸だとかという括りに分類している。すなわち、快適だと感じていることを幸せと呼び、そうではないことを不幸せだと名付けている。その両極端に含まれないその他を、普通だとして処理している。もちろんそこにもスペクトラムがあり、どちらかというと心地よいと思うことや、どちらかというと不快だと思うことの偏りもそこで分類されているね。その境界線ははっきりしているようで実は曖昧なままとなっているだろう。

認知と整理

その境界線は善悪のそれと連動していることがほとんどだ。すなわち良いことだとあなたが決めている領域にふれるものは、幸せなことでもあり、悪いことだとしているそれは、不幸せだと整理することで認識しているわけだ。認識とはあなたのものさしがそれを指し示すことができるようにすることだと言っていいね。すなわち、無分類のままだと、感じることだけで理解も認識も未処理のままとなるわけだ。なんとなく嫌いとかなんとなく好きという大雑把な括りに放り込んだだけのことだね。そこでなぜそう思うのかまで深堀りして、あなたのものさしに当てはめて体験としての記録をすることで、初めてそれが次の指標、すなわちものさしを塗り替えていくわけだ。そういう意味で、夢という思考よりも、体験はあなたの奥底の価値観をも揺るがす人生の真髄の一部でもあると言ってもいいだろう。