ゴールはどこ?

日々

十分

満足か不満足かを決めているのは、あなたがそれをどう捉えているのかということに依存している。決して絶対量できまっているわけではなく、あなたがそれをどう数えているかに完全に依存しているということだ。しかしあなたからすれば、あなたが見ている周りの様子を客観的に捉えていて、それと比べて得られる結果であって、何も独りよがりの基準ではないと反論するだろう。でも、それは絶対量として適正かどうかという問題とは全く別だね。もっと言えば数が少ないから不満だとか、多いから満足だとかという単純な話でもないだろう。環境にも依存して、周りが大金持ちだと金銭感覚が異なるように、周りに満足している人ばかりがいる環境では、どうしてもあなたは相対的に少ないと不満を漏らすことが多くなるだろうし、そうではない状況だとあなたは恵まれている第一人者であると自覚するかもしれない。

絶対値

満足か不満かということに対して、実は明確なしきい値があるわけではないということだ。ということは、こうなれば満足だというゴールもその時々で移ろいでゆくわけで、ここまでくればもう不満はないという地点は変動するものだということだね。だから、あのときはそうであったけれども、だからといってそれが最終地点ではなく、ほとんどすべてが経過地点でしかないということだ。だからあなたも知っている通り、ここがゴールだという地点があるようでないということだね。そこで足るを知るという言葉があるように、欲望の奴隷となってしまっては、どこまで満足しているかという点だけでは振り回されてしまうだけになってしまう。どこまでいってもゴールがないマラソンのような状態になって、あなたはいつそれが終わるかという不安でいっぱいになるからだ。ということは、そもそも満足だとか不満だとかという常に変動するものに依存していては、決してそれらが達成することは永遠にないということになる。

幻の目標

結局のところ、満足とか不満というものは幻想そのものだと看破してしまうと、それがあなたの結局のところその感情的なそのゴールを見据えること自体が馬鹿らしいことだと気がつくだろう。もっといえば満足感なんていうものを手放したほうがいいね。一方でそれらがあなたの人生の評価指標になってしまっていることで、あなたは日々不満ばかりが募ってしまうという構造となっているのは、それらは目的としては不適合だからとも言える。すなわち、それは変化し続ける車窓の景色みたいなもので、その変化を楽しむものであって、目標とするべきものではない。いわば日々なにかを大切にして、丁寧に暮らす上での映像の一部であって、それらはなにかの意味や判断材料とはならないものだ。だからそんなことに時間を費やしていては、せっかくの楽しみの時間を台無しにしているのと同じとなってしまうね。あなたが目指すべきものはそれではないということは、どうやら間違いないようだ。