サバイブ
悟り
なにがあっても生き抜く力が備わっている人からすると、皆が大騒ぎしていることがそうではないことを知っている。だから静観することができるわけだ。大変そうなことがそうではないことになるわけで、それによって右往左往することも少なくなる。もちろんそれでも危機が訪れないわけではないけれども、必要以上に大騒ぎすることは無駄だと知っているわけだ。それほどだいそれたことではないにせよ、例えば天候によってついているとかついていないとか、それぐらいのことで一喜一憂している人を見て、雨は雨で悪くはないし、たとえ嵐で身動き取れないときでさえ、それはそれで楽しむことさえできるだろう。それ自体が人生の全体を感じ取れているわけであって、それ自体を個々に不幸だとか悪運だとか呼ぶ必要さえないね。晴れていても雨が降ってもそれ自体が人生そのものの一部であり、喜びとか悲しみとかそんなこととは全く関係のないことなんだからね。
不安
いつの時代も、不安を煽ることで注目を集めることが簡単にできるわけだ。もうすぐ危機的な状況に陥ってしまうから、準備を万全にとか、もしかしたら起こるかもしれないことをネタに人々の心を揺さぶることで視聴率を稼いでいるわけだね。情報が世界中を駆け巡り、それにぞっこんな人々を掌握するにあたって、一番やりやすい手段がそれだからだ。そして不安の起点として人々は無駄な出費をすることを惜しまないのだから、資本主義社会においてはそれを煽ることができる人が勝ち組に近いというオチとなる。もちろん、いいニュースよりも悪いニュースのほうが注意を引きつけることができる。そしてそれをさらに大げさに煽ることで、誰かが儲けることができるわけだから、それを生業にしている人からするとある意味自然とそうなるわけだ。けれども、その不安はあくまでもまだ起こっていない未来のことであって、今すぐなにかが変わるわけではない。
適切な対応
だから、実はそれらに適切に対応するということは、それが起こってからで十分だということになる。備えあれば憂いなし、なんて言う言葉もあるけれども、ある程度は備えることも悪くはないけれども、それが起こらないまま備えたところで杞憂に過ぎないわけだ。なにがあっても生き抜く力を備えることのほうが実は本質であって、そうなったときにきちんと対応できる力を磨くほうがさらに優位になるには違いないね。そのスキルを磨くためには、そもそも不安情報に振り回されない姿勢を学ぶことが必要なわけだ。不安はあくまでも確定されたなにかでもなく、未来に対する漠然とした幻想でしかない。それがやっぱりそうなったとしても、その場でどう対応するかということが本質であって、いくら事前に備えたところでほとんどが的外れでしかないね。もちろん生きるための食べ物や資源を蓄えていたとしても、それだけが対応力とはならない。なぜなら、それがたとえそうであったとしても、単に生きながらえるだけの時間稼ぎでしかないわけだ。さらに言えばその状況から好転させるための方策がなければ、ジリ貧でしかないのだからね。
