幸せしかない

日々

本質

あなたはどう考えても幸せの真っ只中にいる。それは間違いないね。いやいや、それだったらどうしてこんなにも苦労の連続の中でもがき続けているのだと反論するだろう。けれども、それは幸せがバックグラウンドにずっとあるから、不幸になったり苦労したりしているわけだ。ちょっと何を言っているのかよくわからないと思われるのは仕方がない。けれども、そもそも辛いとか悲しいと感じられるのは、あなたが幸せとは何かを知っているからであり、もしそれを全く知らなければそれそのものが辛いとか悲しいと区別して認識することすらできないのだからね。過去にかつて幸せな時を思い出していたり、あの頃は良かったと噛み締めていたり、そんな体験がベースにあるからこその、現状を嘆くことができる。それすらもなければ、おそらくは今がそれほどまでに苦労が絶えないとはそもそも思うことすら不可能だ。

比較

本来、幸せの真っ只中であれば、それが幸せだとは感じることができないはずだ。それが日常であり当たり前であって、それと何を比較することができるかといえば、それは過去の経験しかない。それも順調に進んでいる状態で、わざわざ過去の苦い思い出を引っ張り出してわざわざ今が幸せだと噛みしめるなんてことは、おそらくはそのときはやらないだろう。すべてはあとから振り返ってみればそうだったんだと気づくことばかりであり、それと比べて今がどうだという判断になる。だからいつも幸せになりたいと思い続けて過ごしているのは、過去の記憶を常にリピートして持ち出していないと続けられないね。どんどん薄れゆく記憶は毎日書き換わって行き、ついにはもはやそんなことが起こり得ないぐらいの幸せに膨れ上がっていくのは、その構造上避けられないわけだ。過去とは美しく強調されていくが故に、本質的には幻想と変わらなくなってしまう。

幸せ

だから、幸せとは今であり、どんな状況に置かれたとしてもそれは間違いないといえるわけだ。辛いことや嫌なことばかり起こる毎日だと嘆き悲しむことができるのが、その証拠となる。逆に不幸の真っ只中であれば、幸せを感じられるのかというとそれは無理な話だ。不幸だから幸せを感じられると反論するだろうけれども、不幸はそもそも幸せの対極の概念であり、幸せがなければ成立しないものだからだ。いやいや、そうであれば、不幸の対極である幸せという概念であると言えるのならば、不幸の真っ只中にいるからこそ幸せを感じることができるんじゃないかととあなたは言うだろう。しかしながらそういった逆には成立しないんだよ。なぜなら、不幸の真っ只中にいることができるのは、幸せがないと不可能だからだ。幸せってなんだっけという状態では不幸にはいられないのだからね。