夢という言い訳

日々

本気

それができたらいいなと思っている。いつかはやってみたいことばかりが思い浮かぶわけだ。そしてあなたはそれに憧れている。素敵だとかいいなと思っている。けれどもだからといって何もしてはいない。心と身体がまるで引き裂かれてしまったかのように、心が震えているけれども身体はそのままの状態だ。そんなことばかりを繰り返してこれまで生きてきただろう。なら、その感銘をうけたことをなぜ行動に移せないのか。そこが一番のポイントとなるね。要するに最初の第一歩を踏み出せないままでいる。そしてそれはどうしてかと問わた際の言い訳はスラスラ出てくる状態だね。やろうとしたけれども、時間が足りなかったとか、一度やってみたけれども面倒になってしまったとか、試みたものの難しすぎてさじを投げたままだとかだ。すべては言い訳で完結してしまい、もはや今さらやってみたところで、あまり意味がないまでになってしまっている。

呑気

いつかはやってみようと思っている。でも今はまだその時期ではないと思っている。だからその時がくるまでの準備期間であって、まだ本腰を入れる段階ではない。それを正当化するための口実はばっちりできているわけだ。だからまだやりたくてもやれないのです、なんて嘯くことなど朝飯前となる。でもそれは本当にそうではないことも、あなたは知っている。でも、確固たる口実を生み出してしまうと、今度は本気でそれを自ら信じてしまうわけだ。自ら生み出した架空の世界が、そのとき現実の世界と入れ替わってしまう。そして、もはやいつでもやろうと思えばできることすら、手も足も出ない状況となってしまうわけだ。さまざまな障害や足枷の正体は、実はあなたがそれを生み出しているか、もともと小さな引っかかりを強化してしまっているわけだ。そしてなぜかそうすることで、あなた自身もほっとしている部分も少なからずあるだろう。

変革

そう、それは一種のバイアスだとも言えるね。何かに向けてファーストステップを踏み出せないのは、そこから未知の世界を生み出してしまうのではないかという恐れがそうさせている。いつもの安定した生活を維持しつつ、少しばかりの変革ができれば望ましいわけだけれども、それが維持できるかどうかのチェックやリハーサルは簡単にはできないことが多いからだ。だから、いつかはやってみたいという思いを夢という名前に変えて、あなたはそれに向かうことを延長しているわけだ。夢とはその前提として簡単には叶わないものでありつつ、語るには足るというまさに絶好の言い訳として使えるからだね。だからなぜやらないとか突っ込まれることも回避できることも多くなるだろうし、少なくともそれにまだ着手すらできていないあなた自身を責められることもなくなるからね。そう、夢という言葉はそういったことを孕んでいるわけだよ。