不自由だからこそ

日々

見方

同じことをどう見るかによって、世界は一変する。いつも悲観的に物事を見るクセがある人は、世間はとてもおっかないものだろうし、いつも楽天的にどうにかなるさ、なんて呑気に見ている人は世間は捨てたもんじゃないとなる。それは別世界がそれぞれにあってまるでパラレルワールドのように見える反面、実は世界は一つしかなくて、その捉え方一つで多様になるということでもあるね。実際のところはどっちかは考えてもわからないけれども、あなたのクセがあなたの世界を生み出していることだけは事実だろう。少しでも穏やかで愉快に過ごしたいと思うのならば、なぜか自分はラッキーで、周りの人にも恵まれているな、と思っている人を見つけたら、その人と近しくなったほうがあなたにとっても得策だろう。一方で、悲観的にすぐ誰かの陰口ばかりを言う人のそばには、できればいないほうがいい。なぜなら、あなたの世界もその影響を少なからず帯びてしまうからだ。

不自由

欲望はその目的を失ってしまうとすぐに暴走して肥大化してしまう。自由になろうとして自由に縛られるのもそのせいだ。よく言われるように自由を主張すればするほど、自由の奴隷となってしまっていることが多いね。そしてそれをあなたらしさなんていう言葉に変換してしまうと、自由でないことがまるで悪いことのように捉えてしまう。そうではなく、あなたは自由になるためのまずは枠組みという制限をしっかりと組み上げることで、それが達成するわけだ。いつものごとく不自由があるから自由が際立つわけで、不自由をすべて排除してしまうこと自体が目的化してしまうと、自由も失って、残るのは欲望の暴走という全く違うモンスターが暴れまわるだけのこととなる。そしてそれがあなたが望んでやまない世界とは全く違うのは、もうすでに何度か経験済みかもしれないね。

許可

制約条件の中で、あなたが少しだけ許しを与えることが、本来の自由なわけだ。そうやってうまくやっている人を見ると、一見好き勝手に生きているかのように見える。けれどもそれは大いなる勘違いだね。何を許して、何を許さないのかという枠組みがしっかりとしているからこそ、思い切って動き回ることができているのだからね。その表面的なものだけを見て、あなたがそれを真似したところで、かえってうまくいかないのはそのせいだ。逆に言えば、しっかりと枠組みさえ自ら生み出すことができれば、あなたはその時点で自由を楽しむことができるというわけだ。不思議な結論となるけれども、自由を満喫したいのならば、その裏側の制約をしっかりと組み上げることでそれが実現可能となる。なんだかおかしな話と思うかもしれない。けれどもそれに気づいた人は、とても生き生きと暮らしているわけだよ。