あなたは誰

日々

記憶

あなたは記憶でできている。あなたらしさや、あなたにとっての大切なもの、あなたにとっての守りたいもの、あなたが苦手としていること、すべては過去の記憶を今の世界に映し出すことであなたの世界は都度生み出されている。もしもあなたが記憶を失ったら、全く新しい世界がそこに立ち上げるだろう。もちろんそれは想像することはある程度できたとしても、未知の領域であって、そうなったらこうなるだろうという予測も記憶がないと不可能だね。だからあなたは記憶の塊であるとも言える。そして歳を重ねるうちに、その記憶も曖昧になってきている。だからそれを元にあなたの世界はどんどん変化していかざるを得ないのは、もうすでに知っていることだろう。古いアルバムなんかを見る機会があっても、おぼろげなからあなたのような人がそこに映っているけれども、実際のところそれが果たしてそうだったのかなんていうのは検証のしようもなかったりする。

他人

ということは、あなたがあなたであると思っているのは、そういう記憶の断片を再構成したものでしかない。古ぼけた写真に映っているあなたの友人や知らない人をあなたではないと判断しているのも、それが根拠となっているだけのことだ。あなたらしき人がそこに映っていて、あなたの知る友人が隣にいて、背景には誰か知らない人が映っている。それらもあなたの記憶がすべて失われてしまったら、どんなふうに見えるだろうか。鏡を見ればあなたらしき人がいるということはかろうじて認識できるぐらいで、それ以外は風景の一部にしか見えないね。さらに過去に遡って自らの生まれたての赤子の写真なら、さらにあなたらしき人も見分けることすら困難だろう。もしそこにあなたの両親がいれば、これはあなたが生まれて間もないときの写真だと聞くことができる。けれどもそんな誰かの手かがりすらなければ、未知の写真がそこにあるだけだ。

勘違い

さらに、記憶はいつも塗り替えられている。よくある話としては、古い友人と若かりし頃の思い出話で花を咲かせているときに、あなたの記憶とは違うエピソードが語られるときがあるね。それも古くなればなるほど、あなたの記憶も怪しくなってきているから、あなたは相槌を打ちながらも実はあまり覚えていないことが増えていく。もちろん記憶はおぼろげになってくるのは、お互い様なんで、もしかしたらそれを雄弁に語るあなたの友人が間違っているのかもしれない。けれども、それをそうだったとか、そうでなかったとか判断できる記憶がもはや曖昧なので、あなたもそうだったかもしれないと思うしかなかったりする。もちろん過去の記録をひっくり返して事実を突き止めることができるかもしれない。しかしながらそれをしたところで、あなたの知己はそれを受け入れるかどうかも怪しいわけだ。なら、もはやそれでいいと諦めたりするわけだ。そう、実はこれまでずっと、あなたはあなたの中にしかいなかったのだからね。