いつもと同じ
いつもと同じ
いつもと同じだと思っている時は、何も見てないことが多いから注意しないとね。え、平穏無事であることが一番の幸せじゃない?とあなたは言う。もちろん災いごとも起こらずつつがなく過ごせるなんて奇跡であることは間違いない。けれど、そこが危ないんだよ。何も起こらないことを「いつもと同じ」とイコールで結んでしまっている。だからこそ、何か起こったときは、ことさらそれを異常事態が起きたと思ってしまうんだよね。いつもと同じ今日も相変わらず平常運転です、なんて言うのは「当たり前」の基準に変えてしまっているね。そうすると何か起こった時のほとんどが緊急事態に変わってしまうんだよ。
何も起こらない日はあるのか
何の変哲もない休日の午後、みんなそれぞれ時間を過ごしている。その風景は見えるけれど、その人の内情まですべて立ち入ってみることはできないね。町並みや公園や渋滞する高速道路から車の窓に映る人影を見て、大きな流れを感じている。もちろんそれは幾度となく見慣れたいつもの風景。日が大きく傾いてきて、夕陽に染まる人影をみながら、ミラーに映る自分の姿も夕日に染まっている。まるで大きな絵に色をつけていくように、光は黄昏に変わっていくね。気がついたら、もうあたりは真っ暗になって、人工的な光に包まれている。さっきまでの景色はあっという間に別の景色に変わってしまう。
いつもと違う
いつもと同じ風景だなと思って見ている。そういえば去年はどうだったかな?なんて思い出を探したりしている。きっと去年も同じこと言ってたよと誰かに言われるのかな。いつもと同じと思っているから、たぶんいつもと同じ思考と反応を繰り返しているのかもしれないね。何も同じなものなんてないのに、いつもと同じように見ている。不思議なことにそれで懐かしさを感じて、これもいつもと同じだと感じている。すべてがいつもと違うのに、いつもと同じだとあなたは言う。なんだか変だねぇ。
お彼岸には決まった行事があるんだし、毎年先祖のお参りには行くんだし、いつもと同じだと思っている。だけどそれは、いつもと同じを起こせる奇跡の力だね。あなたの目の前では小さく起こっている色々な出来事が、何の気負いもなくひょいひょいと乗り越え、片付けられて今がある。波乱万丈でいつもと違う場面を過ごしていても、いつもと違う出来事が無意識に片付けられているんだよ。ああ、いつもと同じだな、と感じた時は、見えないすべてに支えられている瞬間なんだよね。その安堵感の中は、どこにも自分がいなくなっている。出来事と風景と思いみたいなものと一体に溶けている状態なんだよ。だから、何も起こらないことがいつもと同じではないってことね。