なぜ忙しいのか
豊かさ
ものがあふれる現代社会において、豊かさの定義が再構築されつつある。すなわち、これまではあらゆるものを手に入れるために努力をしてきたわけだけれども、その間は豊かさよりも苦しさが払われている。苦しさの代償として豊かさを手にすることができるという構造だったわけだ。そしていつかゆっくりと過ごすことができるために、今という時間を犠牲にすることで、少しずつ豊かさを手にすることができるというルールがそこにあった。だから元気で若い今は、苦労を買ってでもせよと言われても何ら違和感もなく、そのとおりに生きてきたわけだね。今の苦労は未来の豊かさにつながるということを牧歌的に信じているし、そう教わって来たわけだから、人によっては率先してそれに勤しむ人もいたわけだ。
いつか
ところが、そうやってやがてゆっくりと過ごせる未来を信じて今という時間を忍耐の時間に変換してきたわけだけれども、どうやらそのいつかはやってこないことに気づくわけだ。もちろん振り返ってみれば便利な生活にはなってきていることは確かだけれども、その分余計になぜかさらにやるべきことが増えているからだ。いつかはのんびりと過ごすという目標のために、多少の富や財産を手にしたとしても、それだけではあなたが願ういつかは永遠にやってこない。それどころか、さらにやるべきことや手にしなければならないもののコストがかさんでいくという現象に陥ってしまうわけだ。これじゃ、いつまで経ってものんびり過ごす時間すら取れないけれども、かといって今ここでその手を緩める決断もできずにいるわけだ。もはやにっちもさっちもいかない状況のまま、あなたはいつかのために動き続けるしか選択肢がないと必至になっているね。
追われていた正体
そんな八方塞がりの中で、それでものんびりと過ごすという豊かさを求めて、もはやここまで来たわけだから今更引き返すこともできないわけだ。ところがそもそもの前提として、のんびり過ごすことは実はいつかそうするという類のものではないね。今すぐにでもできることであり、特に富や財産があるとかないとかも関係のないことだ。お茶を飲んでゆっくりと家族と語り合う時間は、あなたがそうしたいのならば今すぐにでもできる。もちろんそればかりをするわけにはいかないから、ずっとそうしていたいという夢は叶わないだろう。ほんの束の間に、あなたはそれほど急がず、何かを求めず、やるべきなにかから離れることぐらいは、あなたがそう思えばできる状態であるのは、これまでもずっとそうだったはずだね。何かに追われて急いでいるのはいつかのんびり過ごすためであって、実はそれは今すぐにでもできるということに気がついたとき、あなたはこれまでどうしてそんなにも急いでいたのだろうね。
