変化を纏う

日々

常識

あなたにとっての常識は、誰かにとっては非常識なことが多い。あなたの地域や社会ではそれは当然だと憤ることがあるかもしれない。けれども、場所が変わればそれは通用しなかったりするね。だから、一般常識というのは普遍的な真実性を帯びたものではなく、その時々やところによって規定されるローカルルールでしかないということに注意したほうがいいね。もちろん、だからといって今あなたがいる地域や状況において、非常識とされることはわざわざすることはない。けれども、それに反するからといって、まさに村八分にするぐらいの真実でもないかもしれないということだ。郷に入っては郷に従えということわざがあるように、あなたが仮に別のコミュニティに訪れるときは注意する必要があるわけだ。

揺らぎ

それでもあなたのいる地域の常識には、少し揺らぎもあるだろう。厳格に明文化されているわけでもないコモンセンスは、多くの場合細かい部分での解釈はその時々で良きにはからえとなっているからだ。まさにケースバイケースであり、この前はこうだったからとなぞらえてやっても、それではうまくいかない場合もある。あなたはそれに対して混乱して、なら正解はどれなんだと憤るかもしれない。けれどもそのことが、正解主義に毒されているとも言えるわけだ。答えは一つ、真実は一つ、なんていうアニメがあるけれども、実はそれが全てに当てはまるかというと、ほとんどの場合はそれこそ答えは一つではないわけだからね。それぐらい社会や環境は移ろいでいくわけであり、同じ人の意見もコロコロと変化し続けているわけだ。

変わらないもの

あなたも自然の一部であり、すべてのものが移ろいでいくがゆえに、その中においてあなたは、あなたの考えが頑固一徹で変わらないことを誇りにしているかもしれない。けれどもそれもあまりに教条主義的になれば、弊害のほうが多くなるから注意したほうがいいね。もっと柔軟にその時々において対応できる力を身につけたり磨いたりするほうがいい。そうすることで風見鶏だの日和見的だの批判されるかもしれないけれども、そのほうが自然と軌を一にしているとも言える。生きるとは自然とともに調和して、その力を利用して、常に変化し続けるダイナミクスそのものである。だから前と意見が違うとか、言っていることがコロコロ変わるとかは、ある意味生き抜く本領を発揮しているのだからね。でもそれでは社会という枠組みが成立しなくなる場合もあるので、その部分だけあえて合わせているぐらいでちょうどいいわけだよ。