習得

日々

熱中すること

例えば新しく始めた楽器とか、スポーツとか仕事とか、誰もが最初からは上手くいかないよね。もう何が何だかわからないうちに、気がついたら出来ないことが出来るようになっている。その後でどうしてできたのかという理由を探し始めるわけだね。最初はほとんどやることなすこと壁だらけ。レッスン動画を見たり、実際に習いに行ったりするけれど、その時はそんなにうまくならないね。そりゃそうだ、ちょっと習っただけでうまくできるようなものだったら、とっくに放り投げているよね。でも難し過ぎても放り投げてしまうね。で、徐々にうまくできることが増えていく。その事を誰かに伝えようとした時に、振り返って考えて分解した手順を指し示すんだけど、いつも上手く伝わらないことが多いね。ということは何を伝えるべきなのだろうと、途方に暮れたりする。

習得の前提

そもそも習得した何かは、最初に思っていたのとは大きく異なることが多いね。例えばこの曲を弾けるように頑張ろうと練習するんだけど、なかなかうまく弾けない。もういいやと諦めかけた瞬間に、その曲の一部分がさくっと弾けるようになったりする。もう、無我夢中で間違いながらも試行錯誤した結果だね。完成までは到達しないけれど、その一部をそれこそ思い通りに弾けるようになった瞬間に酔いしれている。じゃぁ、その一部はどうして弾けるようになったのかを効率よく分解してステップバイステップにしたところで、誰かには伝わりきらない。どんなに詳細に砕いて見たところで、肝心な何かが足りない。ある日突然訪れるそれは、高尚な努力や思想や方法論ではなく、まさに何とかしようとジタバタしていた熱量そのものがもたらしたものかもしれないね。手順と方法をどれほど丁寧に解説したところで、その要したエネルギーはその中には含めることが出来ないね。

失敗は成功の母

大きく間違うことは、エネルギーそのもの。どうでも良かったらそうはならない。もっといえば、全く弾けないところから1ミリを進まずイライラしていたけれど、それでも何度もチャレンジしていたこと。その熱量で小さな壁を突破するんだろうね。もちろん、精神論で終わってしまうと誰にも伝えることはできなくなるし、俺ができたんだからあなたもやればできるというのは、かなりのパワハラになってしまうね。そこは気をつけないといけない。だから教えを請う者としては、最初は小さく前に倣えに留めておけば、当たり障りなくレッスンを受けられる。今すぐ出来るように教えて下さいとかは言わないですむからね。当然うまくならない。それぐらいでちょうどよくて、そのうちにどうしてもできるようになりたいという思いが熱量に変われば、今つまずいたり、引っかかる所は全て解決しようとするから、全てにエネルギーが満ち溢れる。要するに目の前に見えている外見に捉われることなく、背後に流れる何かを感じることが大切なんだよね。

だからどれほど熱量を持って説明を尽くしてもあまり意味がない。それは自ら起こさないと生まれないからね。だから何かを伝える時は手順書がメインではなくて、そこにある熱量を感じてもらう事が中心になるんだよね。きっと。それは強制しても不可能なことだから、伝える側はじっと見守って機が熟すのを待つのがいいね。