輝きの正体

日々

向き合う

なんだかんだで色々と不平不満があったり、満たされない思いがあったり、こうあるべきとかいう理想があったりする。そしてそれと目の当たりにしている現実とのギャップに苦しんでいるわけだ。そうやって真摯に向き合うことは素晴らしいことであり、有り難いことなんだ。でもあまりに思い通りにいかないことで自暴自棄になったり、八つ当たりしたりして七転八倒している毎日だね。それは生きることそのものであり、それだけ真面目に逃げずに向かい合っているという証拠でもあるわけだから、それで全く問題なんて無い状態だね。逆にそこは目をつぶって自らに嘘をつき、まぁ世の中そんなもんだよとわかったふりを続けている方が、よっぽど不真面目でもある。かといってそうだからといって、それがすぐさまだめな生き様だと言われる筋合いもない。結局のところどんな人でも生きるというこの瞬間からは逃れることはできないのだからね。

正解

そこで悪い癖としては、何か正解があるんじゃないかと思いこんでいることだ。本来正解とは個々人の判断結果であり、それもすぐに陳腐化するようなスナップショットでしかない。にも関わらずしたり顔でこれが正解だよ、なんて近づいてくる人もいるわけだ。そしてそれをよく観察してみればわかるように、もはやその人だけが時間が止まっているかのように、なにか古ぼけた信念を握りしめているだけで、もはや流れには取り残されてしまっているね。そう、正解とは普遍的な何かでもなく、そのときの写真をいつまでも今に重ねているだけのことであり、それを自慢気に押し付けられたとしても、あなたは苦笑いしかできないだろう。それでもあなたはそんなものと知りつつ、それを探し求めてしまうのは、それがある意味免罪符となってあなたは安心したいからだ。この場合の安心とは思考停止と同義となる。

不正解

だから変化を恐れず、自らの視点を移動することに躊躇せず、何事も楽しんでやろうという興味や好奇心があなたの生きる原動力の正体なんだよ。それが体現できればおそらく周りから見てもいきいき、わくわくしている様子がノンバーバルで伝わるわけだ。なぜかはわからないけれども人生を楽しんでいそうな人に見えるのはそういう仕組みからであって、当の本人はそんなことよりも些細な悩み事ばかりでうんざりしている。そう、あなたも実はなんだかんだと不平不満がいつまで経っても消えないけれども、人から見れば羨ましいと思われる存在なんだ。生きることというのは、誰かのなにかではなくあなたがもがき苦しんでいる状態そのものであり、それが外から見れば完璧にすべてがキラキラと輝いて見える要因なんだ。だから、先人たちが言うようにありのまま、そのままでいいんだよ。正解なんて探さないでいいのはそういう理由からなんだ。