曖昧模糊
日常
曖昧な目的しか持っていないと、曖昧な結果しか返ってこないね。どうしてもこうなりたいという明確な目的があると、それが達成できるかどうかの細部にこだわるようになる。それがときに辛いと感じることがあるから、どうせ叶わないのであればあんまり明確に目的を持たないほうが楽だというライフハックを手に入れたわけだ。そうやってしばらく過ごしていると、何が目的なのかよくわからなくなってしまうから、なんとなくぼんやりと過ごす毎日になってしまうね。だから、いつもの暮らしをつまらない日常なんて呼ぶようになって、もっと刺激が欲しいとか、もっと良いことがたくさんある方が幸せだとか、そんな見当違いの世界を目的化してしまうわけだ。それはあなたにとっては明確な目的だと思っているかもしれないけれども、そもそもの元の状態を振り返ってみればわかるように、ぼんやりしたものであるに違いないと気づくだろう。
勘違い
そう、目的がそうやって曖昧なものから明確なものだと勘違いしてしまっているわけだ。収入をさらに多くしたいとか、もっと人からよく思われたいとか、もっと楽しく過ごしたいとか、そういう目的が自らにあると思っている。けれどもそれらをしっかりと見直してみれば、明確な目的と呼べるものは一切ないことに驚くかもしれないね。そこでビジネスシーンではよく定量化して明確化しなさい、なんて言われている手法を使ってあなたもそれを真似てみたりしているかもしれない。何年後に資金を2000万円手にするとか、80歳にあなたはどうなっていたいかということを具体的にイメージするとか、そんなことばかり世間では言われている。でも残念ながらそれらはすべては曖昧で幻想であって、数値をうまく使って具体化しようとしているフリをしているだけで、曖昧な目的からの延長線上のなにかでしかないね。
夢の大きさ
では、その目的が達成したら、あなたはどうなっているのか。それはなってみないとわからないと答えるだろう。そしてそのなってみたという状態がやってきてはないという言い訳が成立して、いつまで経ってもそれを検証する機会はなかなかこないわけだ。しかしながら、そんな遠い未来のことばかりではなく、これまでの人生を振り返ってみれば、その検証をすることができるはずだ。例えば、昨日の夜に今日やることを決めていて、それがすべて午前中に完了したとしよう。それがおそらく達成したという状況だとするとどうだろう。いやいやそんな小さな目標なんてどうでもいいと感じるかもしれないし、もっと大きな目標でないと検証不可能だと思うかもしれない。けれどもそこで気づくことがおそらくは未来のあなたの曖昧な目標が達成されたときの感覚のアナロジーとはなるだろう。さて、あなたの目標の進捗具合はどんな感じですかね。
