常識が邪魔

日々

知ったことは常識

当然こうだから、こうなる。それは世間の常識だよ。なんて、知らず知らずのうちにいつのまにか小賢しくなるね。何か新しい方法はないのかと、その組み上がった常識を越えようとうんうんうなって考えるも、今度は十分に備わった常識から抜け出せずに同じ答えしか思いつかなくなるね。それは経験からくる縛り。かつてそうは思っていなかったけれど、実際には違っていたから、二度と同じ轍は踏まないと学習してしまう。この学習は人類にとってとても重要な機能だけど、この機能のために、同じことを何回もやれなくなっているね。同じことを何度も繰り返すことをバカなこととまさにバカにしている。でもそれは本当なのかね?

繰り返すエネルギー

朝起きて、太陽が出ている間に活動して、夜になったら眠くなって寝る。それの繰り返し。お腹が空いてご飯を食べる。満腹になるけれど、またお腹が空く。これも繰り返す。息を吸ったら吐くね。血液は心臓によって循環しているね。よくよく見ていると同じようなことを繰り返すことばかりじゃないかな。掃除してきれいになった部屋も、また汚れる。汚れるからまた掃除する。すべてが繰り返しの循環のようだね。その見えている繰り返しの中で、何か一つ止まってしまったらと想像すると、はっとするね。これまで積み上げてきた常識が一気に音をたてて崩れていくからね。

見えていること

物事を見えている事象で捉えてしまうと、その本質に到達しないね。その背後にある繰り返すエネルギーを見逃してしまう。なんとなくそこに「万物は流転する」という言葉を浮かべるように、わざわざすべてものは変化し続けるよなんて言わないと、すぐに固定化されてしまう。そのある一瞬だけを捉えた絵を「常識」として受け入れていくことになっているね。で、その常識にがんじがらめになってしまうわけだよ。すべてが移り変わって変化し続けていることが本質なんだと、おそらく何度も何度も再確認する癖をつけないと、少ない経験で判断して固定化してしまっているところから抜け出せないね。経験が多くなればさらに何がどうなのか余計にわからなくなる。だから変化し続けるものの中で、変化することを一番嫌うようになってしまうね。いずれにせよ、何も知らないということが一番強みになるのは、見えていることをそのまま見続けられるからだよね。ああ、それはね、いずれこうなるよ、なんて知ったかぶりして目を背けるのが常識。おもしろがって見続けられるのは、常識という呪縛に全く囚われていないからなんだね。