知識を経験に変える
情報過多
あなたのこれまでの知識が知恵となり、それが実際に活用できるかどうかという点において大きくその威力が異なるわけだ。日々いろんな情報を得ている。それもちょっと強迫観念じみた情弱にはなってはならないという思いが強いから、いらぬ情報まで目を背けることすらできない状態となっている。これだけ四六時中情報のシャワーを浴びている状態で、あなたはその中の整理と精査を常に続けていかなければならないというのは、思っている以上に高負荷な状態だ。できることなら、不必要な情報を遮断して、必要な情報だけを得たいと思うのは自然なことだ。けれどもそううまくはいかないわけで、あなたのスマホからひっきりなしに流れてくるそれは、まさに玉石混交であって、中には企業の宣伝も入り乱れている。もううんざりするほど眼にしたそれらが、実はあなたの知識という部分を覆い尽くしているわけだ。
手を動かす
例えばYouTubeで見た料理動画で、美味しく作る方法を知ったとして、それを実際にあなたが再現する場合を考えてみよう。そのときにあなたはまずは食材を調達することから始めるね。そして近所のスーパーで食材を探すわけだけれども、あなたが希望する見たとおりの食材を買おうとしても、まさにそのとおりのものはほとんどないことに気づくだろう。同じ食材でも、地域や販売店によっては産地も銘柄もまちまちだ。さらには動画映えするような美味しそうで新鮮な状態のものなんて、かなり吟味しないと手に入れることすら骨が折れるね。なんとか多くの店舗を駆けずり回って手にしたとして、そこから調理が始めるけれども、食材の状態やばらつきによってうまく皮が向けなかったり、硬さも鮮度も違ってこれで本当にうまくいくのかという一抹の不安がよぎることになるだろう。
身体化
そこで正解である知識が、そのままではなんの役にも立たないことを体感するわけだ。実はそれが一番重要なことで、まさに頭の中で妄想していた知識が、身体化して知見となる瞬間である。それは動画を見ているだけや、知識として知っているだけでは得られない実体験となる。とたんに知識なんてあまり役に立たなく、食材とあなたは格闘するわけだけれども、そのときにちょっとまだ硬い野菜の扱い方や、種類が違う食材への下ごしらえのアプローチなど、動画では得られなかった初体験を連続してこなしていくことになる。そこでかろうじて維持されるものは、何を作るかということだけになることも珍しくないね。火加減やカットの大きさ、調味料などの調整は、あなたが実際に当事者にならないと得られない代えがたい経験となる。そう、知識や正解はあくまでも方向性として機能するだけで、実際には思っていたのと違う世界がそこに繰り広げられるわけだ。そしてその知見は情報だけでは得られないわけだね。それこそが本来の揺るぎない学びなんだよ。
