世界のすべて
世界
あなたの世界はあなたの知るものだけでできている。だからあなたの世界を少しでも広げたいと思うのならば、新しい知見が必要になるわけだ。そもそも知らないものはあなたの世界ではないものになっている。これは避けられない事実であり、たとえそこにずっと存在していたとしてもあなたの眼はそれを見ることができない。光の信号として眼が受け取っていたとしても、それを認識という段階で脳が処理できないため、ノイズとしてすらもわからないわけだ。まさにそこには「なにもない」状態だね。そしてそれは書籍からでもネットからでも友人からのアドバイスでもなんでもいいけれども、それを初めて知るというきっかけが必須となるわけだ。もちろんそれはあなたからすればまさに信じがたいことなんだけれども、それを少しずつあなたなりに消化することができれば、あなたの世界にまた一つ見えるものが生まれるわけだね。
言葉化
それはまさに、認識という処理において言葉化できるかどうか、ということだ。言葉化できないものは思考も認識もできない。だから例えば見たことのない変哲な物体がそこにある、というのは知らないものだけれども、在るということは処理できているわけだ。すなわちここでいうところの知らないは、得体のしれないものが稀にあるということを知っている段階で、それはなんだかわからないものとして知っているということになる。本当に知らないということは、そういう処理すらもできないことだね。実はこの世はすべて誰かの夢の中なんだとか、そういう比喩がしっくりこないまでも、なんとなく言っていることを俯瞰して映像化できるのならば、それはまさにあなたが知っているという事実がそこに在るわけだ。宇宙の果という概念は知っているけれども、実はそこはあなたそのものだった、なんて言われるとちょっと戸惑うね。そう、知らないことはどう探してみたところで見つからないのが本当に知らないことなんだ。
把握
すなわち世界とは言語化されたなにかであり、それがプログラミングされて処理できるからあなたの脳に映像として再生されているわけだ。そしてそれを超越する何かは実は映像化できないのと同様で、その礎というか元になっているのが言葉なんだ。すなわち世界という概念の基本要素は言葉であり、言葉が全く無ければ映像化ができているかどうかを判断することはできない。もちろんそんなものがあってもなくても生きている動物たちが身近にいる。彼らが見ている景色がどんなものかをあなたなりの視点で想像することはできるけれども、その答え合わせはかなり困難だ。友人とみた景色でさえ、見ているところや感想が全く違っていて驚くぐらいなんだからね。あなたが知る世界がすべてではないということはなんとなくわかっているけれども、ならそれ以外の世界はと問われても何も答えられないのはそういうことなんだよ。そこにこの世のからくりが隠れているわけだ。
