偽善と善
癒し
他人に優しくありたいと思うのならば、まずはあなた自身に優しくあれということがよく言われる。あんまり腑に落ちないかもしれないけれども、自分に対しての許しや余白がないのに、他人に優しくしているフリをしているけれども、それは偽りの姿だとすぐに気づかれてしまうわけだね。まずはあなた自身の心的充実度がある一定の高レベルであるからこそ、その優しさが本領を発揮するわけだ。あなたは自身には厳しく、少しの妥協も許さない姿勢なのに、他人に対しては優しく振る舞ってみたところで、その奥底にある厳格さはなぜか周りに波及してしまうからね。それはどうしてかということを考えてみるとすぐに気づくことは、あなたの日常の行動にはそういう厳しさが見え隠れしてしまっているから、あなたがどれだけ口先で褒め称えようとも心の琴線に響かないからだ。結局それはお目溢しをしていただいているだけであって、本音の部分ではもっと頑張れというメッセージが色濃く反映されてしまうからだね。
仮面
それでもあなたは優しい人だと思われたいがために、自身の心情とは別に架空の優しさを演じている。そしてその演技は決して名演技というほどでもなく、むしろ端からみてみれば大根役者だと言っていいだろう。あなたはそれを巧妙に隠そうとすればするほど、それが色濃く節々に漏れ出てしまうわけだ。だからそんな嘘や架空の芝居をやめて、本音をストレートに伝える方が、かえってうまくいったりするね。変にゴニョゴニョしてしまうと、どう考えても不自然過ぎるわけだからね。コミュニケーションのコアはそんな表面的な社交辞令でごまかせるものではなく、むしろその裏の裏のコンテキストをどう読み取るかということであるから、そんな小手先の何かでどうにかなるわけではない。それを一番知っているのは紛れもなくあなたであるにも関わらす、なんとかごまかせるものだと思いこんでしまっているから始末に負えないね。あなたこそ、そんな表層的な偽善などはすぐに見破れるというのにね。
あなたの心情
そう、周りを幸せにしたいと本気で思うのならば、まずはあなたが充足しなければそれを伝えることはできないわけだ。あなたが笑顔で朗らかであるだけで、周りの人々はそんなあなたに癒されるわけだ。何もあなたがのおべんちゃらで幸せだと思う人などどこにもいないわけだ。逆にそんな子供だましみたいな稚拙な演技で、なんとかごまかせると思っているあなたのほうが、可哀想だと思われてしまう存在となってしまうからね。嘘をついたり、おべんちゃらで誤魔化したりすることでなんとか仲間や友人を騙し通せるという発想自体が貧しいと言わざるを得ない。本当にあなたが優しくありたいのであれば、あなたがまずは楽しいと本心で思えていることが必要なわけだ。あなたがクソったれだと思っているそれらを偽って素晴らしいなんて言う言葉でもって覆い隠すのならば、あなたの周囲の友人たちもさらに気を遣って嘘を塗り重ねてしまうからね。もはや小手先の計算されたそれらは、偽善そのものだとも言えるね。
