人の価値
遊ぶ
真面目に生きるということは、遊んでばかりではいけないと思いこんでいるね。遊びとはあくまでも副次的なものであって、真面目に取り組む姿勢のほうが大切だと習ってきたからだ。ちょっとは真面目にやりなさい、と言われ続けてきたから、遊びは不真面目であると勘違いしているだけのことだ。ところが、あなたを成長させてきたことや、あなたの知見を生み出した源泉を改めて探ってみると、あなたが遊んでいたときに得られたことばかりだと気づくだろう。コミュニケーションの力だとか、交渉力だとか、段取り力なんかは、学校の教科書には全く載ってはいないね。さらには、そのためのコストをどうやりくりするとか、どこから調達するかとかも驚くべき事実として、学校の先生から学んだことは一つもないね。早くやりなさいとか、正確に反復しなさいとか、正しい知識を暗記しなさいとかは確かに学んだけれども、いざとなったときにそんな手があったんだということは、実は揉め事だったり、トラブルだったりするときに初めて体験したことばかりだね。
姿勢
そんな窮地に立たされたときに、身近な先輩や同僚に幾度となく助けられてきたわけだ。そしてそれと同じことは、知己の友人たちからも同じような経験をしているだろう。そう、教科書に載っていることはあくまでも知識であって、社会に出てからそれを使うことはとても少ないと感じているね。もちろん、基礎は大切だから基礎であって、一見無駄とも思える知識がベースになっているからこそ、その応用は生きてくるという側面は否めない。しかしながら、それが直接的になにか役に立ったということはとても少ないように感じている。それでも一つだけ大切なことをそこで間違いなく学んでいる。それは、どんな無駄だと思えることでも、真摯に向き合うという姿勢だ。どんなくだらないことであっても、一旦はどうにかそれをクリアしてやろうという姿勢が実は非認知的な能力であり、いわゆる生きる力と呼ばれているものだ。それは点数化することはとても複雑で困難だけれども、しかし確実に窮地に立たされたときに、簡単に諦めることなくだったらどうする、っていう次の手を考えようとする姿勢がそこに育まれているわけだ。
学び
真の学びは暗記ではない。もちろんテストで点数化するためには、どれだけ内容を正確に覚えているかという単純化が避けられないね。だからそればかりに注目して、それの攻略法を見つけ出すことができる。そしてその方法を巧みに操ることができるというのは、一種の才能であり、その尺度でその意味での優秀さを測ることができる。けれども、それがすべてと言わんばかりにそこばかりに注目してしまうととても大切ななにかを見失ってしまうわけだ。それが今の状況で起きている。優秀だと思われた人のそれ以外の態度であったり姿勢だったり、それこそ数値化できない人間性という問題が実はそことリンクしていないということに起因するトラブルだね。変に偏ってしまって、例えば学習能力が優れているということだけで、なんだかとても選ばれし存在だと勘違いさせてしまって、独断と偏見に満ちた人格が形成されてしまったりしている。人の価値を測るのには、慎重さや謙遜がないと見誤ってしまうのは、単純化しすぎることが原因だといえるね。
