問い続ける力

日々

わからないまま

わからないことをわかりたいと思うのが本能のようだね。だから、なんとか知識と経験をフル動員してその糸口を探そうとする。そして、中途半端な上っ面の知識をあてはめてわかった気になって安心したいというのがあなたの習性でもある。わからないことをわからないままにしておくには、それこそそのストレスをずっと抱え込むことになって、なんだか落ち着かないからだ。ところがそんなふうに正解主義に陥ってしまうのは、これまでわからないことをそのままにしておいたらいけないという教育の賜物でもある。解けない問題を、ずっと考え込むことに探求があり、それを継続することで、その過程において習得するその他のスキルが次々と現れる。そのものの問いに対するジャストな答えは見つからないままでも、それに近い答えやヒントをそこから得ることができる。それこそが知見であり、教科書に載っている知識の丸暗記ではなく、一般的には応用問題と呼ばれるそれとなる。

問いと答え

なぞなぞのように、問いと答えがセットになっていることばかりを学び続けていると、そうではないことに対する耐性というか、胆力という粘り強く考え続けるという力が失われてしまうようだ。特に現代社会では企業戦士に求める能力は、早く結果を出せるスキルだから、余計にそうなる。しかしながら一方で、世の中の問いと答えはそう簡単には解けなくなりつつある。それですぐさま結果を求められてしまうと、無理やりこじつけて正解ではないけれども正解のようなそれに妥協することが多くなっていくわけだ。そしてなんとなくそんな風に器用に処理できることを、優れた能力だと勘違いしてしまう。その結果、誰一人サボっているわけではないのに、トータルの生産性は著しく低下していってしまうというジレンマに襲われてしまう。正解というインスタントに解決できることばかりが求められている一方で、正解なんて誰もわからないことを問いにせざるを得ないぐらい激動の世の中を生きているわけだから、そのギャップがどんどん広がっていくのはもはや必然であるとも言えるね。

新たなスキル

その結果、正解ではない正解風なことばかりをでっち上げ続けてしまうわけだから、本来の問いに戻ることが面倒となるね。言い換えれば、どうやらこれまでの経験や知識という過去の記憶のデータベースにはないらしいその問いに対して、それでも無理やり正解風に仕立て上げることばかりを求めるので、問いそのものを直視することが不可能となっているとも言える。そんな今だからこそ、答えを早急に出すことをやめて、わからないことをそのまま、無感情で過去を忘れて焦ることなく問い続ける姿勢がこれからの求められる本来のスキルとなる。これは慣れてないのでずっとモヤモヤしなさいと言われることと同じぐらい苦痛に感じるだろう。それでも、目をそらさず、安直な疑似回答をせず、わかったふりをしないでそのまま考え続けることが、今一番必要となっている。だから、AIとか答えをすぐさま与えてくれるツールが流行ったり、依存したりしてしまうのもその裏返しだね。結果、問いを問いとしてそのまま持ち続けることが今一番のスキルと言っていいね。