探求と寛容
探求者
あることを深く考えるにあたっては、これまでの経験や知識を早急に当てはめてわかったふりをするのではうまくできないね。秀才よりも鈍才であって、愚直でどんな小さな違和感をも流さず、あるひらめきが舞い降りる瞬間まで、根気よく追求していく力が必要となる。現代社会のようにコスパやタイパなど、インスタントに正解を求める傾向が強くなると、探求者は奇異な存在に見えるだろう。生まれた瞬間から早く早くと親や先生や上司に急かされ、結果はまだか、と急き立てられるような状況では、そんな悠長なことをしている場合ではないと思うのも無理はない。そこにちょうど登場したのがAIだね。今後の流れとしてはますますそういう傾向が強くなっていくのは必至だろう。ところがそれも突き抜けてしまえば、また無理難題にじっくりと向かい合うことの大切さを痛感する事態が起きてくる。そうやってブームは流行り廃りを経て、日常の一部へと融合していくわけだ。
思索と行動
人生は短い。あっという間に歳を重ねて時間は永遠ではないことにそろそろと気づくわけだ。だから何事も早急に終えたほうが安心だね。ずっと考え続けるだけで結局は何一つできなかった、なんていう経験もたくさん経て、とりあえず行動することの貴重さを知ることになる。ましてや普遍であるかのように勘違いしていた自身の肉体的な劣化も、徐々に無視できないようになってくるわけだ。とにかく今やろうと思ったことを先延ばしにし続けてしまうと、大抵の場合はそういった物理的な衰えによって阻害されてしまうからね。もちろんそれは何も年齢だけの問題ではない。けれども、やりたいと思ったときが最良のスタート地点であることには変わらない。今が一番若い時とよくいったもので、いつかやろうなんて思っているとそのチャンスは二度と訪れない。なら深く考え続けるなんてやっぱり無駄じゃないか、という反論もあるだろうけれども、探求することは何も思考だけではない。今すぐ取り掛かれることをすぐさま行動に移し続けるということを指すのだからね。
対峙と寛容
しかしながら、答えのない難題に向き合うことはとても寛容さが必要となる。真摯に対峙して、そこから目をそらさず、諦めることもなく、早急に結論じみたこじつけをしないでいることは、とても骨が折れるわけだ。もうなんとなく解決したと言い聞かせるか、そんなことはなかったのごとくスルーするほうがよっぽど楽に感じるだろう。それぐらい今は情報が次から次へと流れていき、あなたの周りを騒がしくさせているからだ。そんな状況で目移りするな、と言ってもそれもまた難題になってしまうね。しかしそうであっても一番の軸は、寛容さを保ち続けるということだろう。それがなくなると大抵の場合は悲惨な歴史を繰り返すことになってしまうからだ。寛容さを中心に据えないと、そもそも粘り強く交渉したり、何も結論がないまま見つめ続けたりすることが途端にできなくなる。そうなるとどうなるか、血塗られた歴史がその顛末を示唆しているわけだ。インスタントな時代においても、決して探求と寛容を忘れてはいけないのではないだろうか。
