人生の地図
鳥の目で俯瞰する
体系的に把握する。それには、まずは全体像が見えてないと難しい。逆に全体像がぱっと頭の中に浮かんできて、今このあたりだなとわかればもう十分に全容を把握しているといっていいね。たとえば旅行に行ったときに、見える範囲の景色を見て感動している。だけど、そこはその地方からするとどのあたりにある風景かを知ると、より理解が深まるね。まぁ、それができるっていうことは、頭の中がGoogle Earthだね。外国ならば、飛行機で移動して今まさにその街に降り立っているんだけれど、それは地球上から見るとここなんだなぁとわかる。そんなに遠くない近くの旅行であっても、自宅を出てどの方向に何キロ離れたところに自分がいるということを感じながら、いろんな体験をした方がより記憶に残りやすいし、まず迷うことはないね。さらには寄り道の計画まで立てられるよね。
自分を指さす
現代では技術が発達して、上空から自分を捉える体験をすることが簡単になっているね。今自分が地球上でどの位置にいるのかを視覚的にすぐにわかるように見せてくれる。近くの範囲でもGoogle Mapで、周りの様子も地形すらもすぐにわかってしまうね。一昔前では紙の地図を持ち歩いて、周りを見渡して、あるいは道行く人に聞きながら、今はここかなと地図に指をさして周りを見渡していた。道に迷うときは、まずその地図で今どこにいるかを指させないね。なにか地図に乗っている目標や目印になっているような建物や通りの名前、大きなお店や駅や交差点を探してから、地図でそれを確かめる。これが得意な人は一発で自分の位置を紙の地図から探し当てることができる。そして、今ここだからあっちだな、と歩き出す方向を即座に決められるね。
今ここを見失う
それができないと、いわゆる迷子の状態だね。とにかく今ここの自分の位置を体系的に、もしくは俯瞰してどのあたりにいるかも見失った状態。それで焦って闇雲に動き回ったりすると、余計にどう動いたかもわからなくなることが多いね。街中では道行く人に助けを乞うことは簡単にできるけれど、大自然の山の中とか、砂漠だとか、そういうところで見失うともはや遭難してしまうね。今は大抵スマホの中に地図があるから、そうならないようにできる安心感もあるね。ただ、スマホは便利だけどバッテリーがずっと持つわけではないし、通信が途切れる場所では全く使い物にならない場合もあるから、過信は禁物だね。でも、一度その便利さを味わってしまうと、もう手放せないようになるのもとてもよくわかる。通信ができなくても大丈夫なように事前に地図をダウンロードすることもできるし、バッテリーに関してもモバイルバッテリーを用意しておけばその対策も打てる。便利すぎて、もはや自分の位置なんて気にしないでいい時代。ということは、自分の位置をずっと見失っても大丈夫な時代なのかもしれないね。
どっちに進むか
見知らぬ街でどっちに進むかも、初めてのことを勉強するにも、やったことない仕事を進めていくにも、一番大切なのは、自分は今どのあたりにいるのかという自分の位置を把握しているのかってことじゃないかな。もう無我夢中でやったあとに後悔するのも、最初は面白がって言われたとおりにやっていた、これでだいぶん前に進んだだろうと、さぁ今度は自分で決めた最初の一歩をどっちに出すのかがわからないときだね。あれ?もしかしてやりたい方向に一歩も進んでいない?それどころか、なんか全然違う方向をずっと向いていたのかな?なんて徒労感にさいなまれてしまう。ここが地球のどこかを把握するためのツールとしての地図はかなり進化しているけれど、それ以外の自分の位置を自動で指し示してくれる道具はまだないね。もっと技術が進化したら、そのうちGoogle Earthの人生版でGoogle Lifeなんて出てくるのかしらね。