点と線
つながるとき
これまでそれらが実は一つにつながっていることすら気が付かなかった。ある日突然、点と点が線につながる。なるほど、そういう伏線があったのか、なんてまるで小説でも読んでいるかのごとく、これまでバラバラだと思っていた知識や経験が一気に花開くとき、あなたは深い納得と喜びを感じるわけだ。それまではなんら関係なく、なんなら無駄だと諦めかけていた過去の記憶が、今この瞬間にそうではなかったという気付きがそうさせるわけだけれども、それはあなたがなんのために生きてきたかが腑に落ちる瞬間でもあり、実は何をやろうとも、足掻こうとも行き着く先は同じだということの再確認でもあるね。すなわち、身も蓋もない言い方をすれば、人生悩もうが楽しもうがなるようにしかならないという真実に触れた瞬間でもある。そう、あなたを悩ませてきたいろんなことは、実はそれが本質ではないということであり、悩むということすら実はその過程においては一時的にそうなることも必要だったということでもある。しかしながら、そうでなかったとしても結末は実は同じだということでもあるわけだ。
アトラクション
すべては最終章に向けてのアトラクションであり、余興の一つであると言って良い。だからあなたの不満も満足も喜びも悲しみも実はあなたの人生においては全く必要性はないということでもある。いやいやその喜びそのものが生きることなんじゃないか、と思っているだろう。その答えはそうでもあるし、そうでもないといったところになる。何を言っているのかわからないかもしれないのは無理もない。すべては魅力的な演出であって、演出家によってその味付けは全く持って自由であり、あるから良いとか、ないから悪いとかという次元の問題ではないということだ。より深い喜びを得るためには、その対極の悲しみや苦しみという演出が必要だし、なんてことのない平穏さを感じるためには、少しばかりの混乱があるとなお良いということでしかない。すなわち、本当に苦悩がなければ、それに対抗する喜びもなくなるわけだ。波乱万丈という程の激動さがなくてもいいのなら、そんな山あり谷ありのジェットコースターに乗らずして、メリーゴーランドでゆったりと楽しめば良いということになるね。
選好
良い悪いで考えるクセや、損得で判断する習慣がその理解を邪魔している元凶であるね。それを少し手放せば、あなたは途端に苦悩や歓喜から遠ざかることができる。すなわち、大きな喜びを得たいがために、深い悲しみや苦しみを選択しているというカラクリがそこにあるからだ。特に困ったこともなく、でも心震わせるぐらいの喜びを感じたいと思ったところで、平坦な道でアップダウンを求めているのと同じことになる。逆に平穏であまりドラマティックな起伏を求めていないと言いながらも、急峻な山道を息を切らして踏破しているようなものだ。土台無理難題を自ら課す目的は一つで、より生きる実感というか、あなたが今ここにいるという感覚を得たいがための演出でしかない。そしてそれらがなぜ大げさまでに必要かといえば、実はあなた生きているか死んでいるかもわからないからだ。そもそも生きているという感覚なんていうものはどこにもないとも言える。その実感を得たいがためのものであると気づいた時、点と点がつながる瞬間が訪れるわけだ。
