不遇の後処理

日々

終焉

何事も一旦の区切りというか、終わりを迎えるね。それはあなたにとってはホッとする良いことでもあり、悪いことでもある。すなわちそれは単なる出来事に過ぎないということだ。良いことだと思えば良いとなるし、悪いことだと思えばそうなる。それを思うのは他の誰でもないあなただけだ。だからそれ自体は全く無色透明であるがゆえに、あなたがいかようにも色をつけて楽しむことができるわけだ。さて、終わりという区切りにはもう一つ必ずくっついてくる要素がある。それは、新たな始まりだ。終わるだけで完結するものはあなたの命がある限りは訪れることはない。本当の終わりはあなたの終わりであり、それは想像はできても実際にそうなってみないとわからないことだ。そしてそれはその時が来たとしても誰も証明することは不可能だ。さて、一旦の区切りをどこでつけるかも、あなたが自由に決めてもいい。もちろん期日や期限など時間という概念でそうするのが一般的だろう。けれども、そこで手放すのか、それともその続きを楽しむのかを、あなたなりに選択すればいいね。

執着

そこであなたが手放さないとなると、いつまでもあなたには終わりがなくなってしまう。あの時の恨みを、なんて執念で忘れかけていたものさえ、無理にでも思い出すことすらできる。もちろん忘れようにも忘れられないことが多少なりとも誰しもあるだろう。それを思い出したとしても、もはや過去のことなんだけれども、やっぱり悔しくて眠れないなんていう日があったりもする。そうやって事実としては一度切りのことなんだけれども、あなたの中で何回も反芻することで、あなたにとってのそれはいまだに過去ではなく今となるわけだ。そうして、楽しい思い出ならまだしも、そうなるのはたいてい辛くて悔しいことばかりだろう。そこであなたはできればしなくてもいい追体験をずっと繰り返すことになる。そこまでしてあなた自信を痛めつける必要なんてないというのにね。できればきれいサッパリと忘れてしまうのが一番なんだけれども、ついついそういうあなたにとって好ましくないことだけは、いつまでも繰り返して自虐してしまうわけだ。

再生

そこまでして恨みつらみを覚えているのはどうしてだろうか。逆に言えば日常的にもっと大切なことはすぐに忘れ去ってしまうというのに、考えてみれば不思議なことだ。そこでそれをちょっと考えてみるに、あなたの思いがまだ成就しないままでいるからだという仮説を立ててみよう。気持ちよく終わりを迎えるには、あなたにとっての条件がある。それらのチェック項目が不完全だと、ことが終わったとしてもあなたの中ではいつまでも未完了となって残ってしまうのが原因だろう。だから過去の同じ武勇伝ばかりを若者に語ってしまったり、マウント合戦や自慢話を語らずにはいられないという衝動が抑えられなくなってしまう。十分にそこで称賛されてあなたなりに満足していれば、それほど自慢するような欲望も起こらないし、もしかしたらそんなこともあったかな、ぐらいの記憶でしかないだろう。ところがあなたにとって不遇なそれらは、あなたが成仏させないといけないわけだけれども、その方法がわからないからいつまでもそうしてしまうわけだ。そうなるのは、あなたがあなた自身で称賛してあげるという一番大切なことを忘れたままだからね。