黄金色した仏様
仏像
神も仏もないといいつつ、いろんなキャラの仏像が祀ってあったりする。それって矛盾していると思っているのは正解だろう。仏はいないし、あなたもいない、なんて言っているはずなのに、仏像を大切にしているなんてバカバカしいと感じることは至極当然のことだからだ。では、なぜそれがいまだに残っているのか、ということをさらに考察できるかどうかが、実は肝心なポイントなんだよ。だから矛盾しているようで、実は矛盾していないとなる。なんだか狐に包まれたような感覚に陥るだろうけれども、そのものだけを見て判断するクセがそうさせているだけのことだ。そこでの大いなる気づきがすでにあるね。仏像なんていらないといっている仏教が仏像を大切に祀っているのはどうしてか。それ自体が問いになっているというオチだね。偶像崇拝を禁止しているにも関わらずそれがあるということが、あなたそのものを指し示しているわけだ。どう、なんとなくわかっただろうか。
見えるもの
論理的な矛盾をついて、論破することが正解だとか正義だとかでマウント合戦をしている嫌いがある。しかしながら論破したり論理的に整合性があったとしても、実際それはなんの役にも立たない空論だということだ。科学信仰が進んで、スピリチュアルなそれらはなんとなく迷信じみて忌み嫌われるようになった。しかしながら西欧では科学と神を両立させるために、古の論者たちはそれこそ命がけで討論してきたわけだ。神の子である我々が、実は生物としての単なるタンパク質の塊だなんてどうして言えよう。でも論理的な考察と検証実験を重ねて物理的に分析してみれば、間違いなくそれが導き出されてしまう。いやいやそうであっても魂はまだ解明されていないとか、縁とか奇跡もまだ謎のままだ。だから、科学は表層的な一部を表して整理できるけれども、すべてをそれで説明するにはまだまだだというところで、アンニュイに着地しているだけだね。それでもロケットは宇宙へ飛び立ち、通信衛星が数多に飛び交っているのが現代社会だ。
唯物論
そういう意味では、偶像崇拝は現代科学と融合性が高いわけだ。ものがすべての根源であり、我々も物質からできている。そこに精神や心が宿り神の世界も構成されている。そういう建付けにすればなんとか折り合いがつくような気がしているからだね。もちろんそもそも原子レベルを超えた物質の由来というか起源そのものを上手に説明する理屈はいくつか試論があるものの、どうにもこうにも確かめようがないから永遠の論点となるだろう。それゆえに、究極には何もわかってもいないし、わかったふりをしているだけだけれども、そのわかった範囲で見えている世界を動かすことはできているというのが現代科学社会となる。だから科学は万能だというのは早計すぎるし、本来の科学者たるものは、そこに謙虚さを持って日々追求している。だからそんな驕り高ぶった科学万能主義者にはなり得ないわけだ。不思議なことを分かる範囲で解明し、それによって社会が便利になったり多くの人の役に立ったりすることを目指しているのだからね。それが金儲けが絡むと純金の仏像に目がくらむ論理は、いまだ未解明のままだ。
