戦いの果てに
善意
地獄の道は善意で敷きつめられている、なんていう西欧の言葉がある。個別最適を突き詰めて、良かれと思ってやることが、実はあなたの勝手な思いでしかなく、結果的にまずい状況へと向かってしまっていることが多いということだ。それが度を過ぎると恐ろしい結末と被害が発生してしまうのは、歴史的にも枚挙にいとまがない。例えば戦争は誰しもが良くないことだから、やらないほうがいいに決まっている。けれども現代においてもまだどこかでそれが起こり続け、残念ながらなくなることはない。やったらやり返す、という単純な感情の問題に過ぎないというものでもなく、その行動に対する根拠としては、それぞれの善意に訴えかけていて、各々がやむを得ないと信じることからそうなるわけだ。そして、それには大義や正義が必ず存在し、単なる自己都合や自己犠牲では説明ができない。地政学的な課題であったり、政治的な背景や歴史的な意義によって繰り返されているのは周知の事実だろう。
不合理
誰しも身近な人を不合理に失ってしまえば、それに対する虚無感と怒りを感じるのは避けられない。さらには、その報復としては、それをしたところでどうなるという意味がわかりつつもじっとしてはいられない衝動的な私怨が残ってしまう。もちろん感情的なそれは、そんなことをしてもという自覚がないわけではないけれども、かといってそれを無視するぐらいちっぽけなものではない。そうなると扇動されやすくなってしまう。さらに残念なことにそれを裏側で糸を引いているものがいる。彼らだってそうなることを望んでいたわけではないにせよ、そうなると都合が良い状況もそこに含まれている。不思議なことに全く悪意の塊のような登場人物は誰一人いないにせよ、全体としては歴史的にも最悪な状況に陥ってしまう。そしてその当事者たちも薄々気がついているけれども、渦中にいてはそれすらもやむを得ないという妙な納得と正義がたしかにそこに見え隠れしているわけだ。そうして振り返ればあのときがそうだったのか、という人類史の1ページとして刻まれてきたわけだ。
変化
自然が常に流転し、変化し続けているように、あなたの気持ちもまた揺れ動き続けてきた。そしてそれの説明のために合理性や正義を構築して腑に落ちるというか、あなたなりの納得を得て、安心してきたわけだ。それがまさか地獄の道へと誘導し続けていることを知らないままでいる。腑に落ちるというか理屈で考えるということは、一時的な感情に流されることよりもマシなことだと思ってそうしてきたことが、結局のところ人類史上で最悪な状況を生み出している。それならまだ感情で小爆発している方が、俯瞰してみるとまだ良かったわけだ。感情は持続的な行動を取ることができない。しかし理屈はいつでも参照できるが故に、長期にわたって同じ行動と思想を維持することができるわけだ。そしてその理屈がこの世を支配しようとすれば、たちまち地獄への道がそこに広がっている。単なる良かれと思ったそれが、大局においては取り返しのつかない最悪な状況と変わり果ててしまうことに、あなたはどれだけ抵抗できるだろうか。
