幼かったあの日

日々

寛容

何も判断せず、ただひたむきに眼の前の事実を、余計な判断や解釈を入れずにそのまま見つめ続けることを寛容と言う。目をそらしたり、わかったふりをしないでそのままで対峙するということだ。人の脳はすぐに安心を求めてしまうクセがあるから、ああ、これはこういうことだ、とか、それは間違っているとか、正解はこうだとか、そうやって真正面から向き合うことを避ける傾向にある。あなたもそうであって、実のところ何も答えを出さずに、なにかに当てはめることもせず、ひたすらにその事象を見つめ続けるということが実はとても難しいわけだ。理解したい、わかり合いたい、解決したいという欲求が強いのも、不安定な状況から早く脱出したいという脳の司令からそうなる。不可思議なことをそのままにし続けるということは、あなたにとってはこれほどまでに苦悩を与えるということを知ると、あなたがいつもやっていることは、何も本質を見ていないということに気づくね。そう、あなたはそうやってすべてを分かったふりをして凌いできただけだったということだ。

逃避

難しい問題が目の前に起こったとき、あなたはすぐにそれを理解することもできず、ましてやそれに対応すべき処方箋が見つからず、モヤモヤとしてしまう。そしてそれから逃れようとする本能が発動して、なんとか正解っぽいなにかを導き出そうと過去の記憶を繋ぎ変え始めるわけだ。そして近似値的な事象と照らし合わせることができれば、事実は一旦捨象して、それと似通ったポイントを無理矢理でも見つけ出そうとやっきになる。そして、一旦それはあなたの経験値の中でまるでそうであったかのように、結論を出そうともがき続けるわけだ。ところが、とても大切な部分すら切り捨てたりまるめたりするものだから、そうやって導き出した結論や正解は、あまりよろしくないものとなってしまう。それでもあなたはそれがベストではないにせよベターだと思い込むことで、その苦悩から早く脱したいと先を急ぐわけだ。冷静になってあとから考えてみればすぐにわかるけれども、そんな偽物の正解などなんの解決にもなっていないことがほとんどだ。そしてそれを完了済みとしてマークすることで、あなたの記憶から消し去ろうとしてしまうわけだ。

問い続ける

そのまま、ありのまま、じっと見つめるということで、あなたの能力は磨かれていくわけだけれども、実際にはその時間をあなた自身が短縮してしまう。そしてそれが続くといつの間にかあなたは柔軟性がなくなって硬直化してしまっている。にも関わらずあなたはそれに気がつくどころか、まだまだ自身の柔軟性を信じて疑わないわけだ。そうしていつの間にか頑固さだけが残り、他人から老害だと指摘され衝撃を受けるわけだ。もはやあなたの理解や分類するクセは古ぼけてしまって、あなたの知見すら一世代前の古典的なそれと化していることに気付かさせれる。そんなことはないとあなたが思うからこそ、そのような事実さえも曲解しようとして、さらに状況が悪化してしまうわけだ。なら、それを防ぐにはどうすることが大切なのか。それは一つ一つ丁寧に試行錯誤していく体力と精神力を維持することが必要だね。要するにあなたは手を抜くことが上手になって、コスパや省エネに特化してしまっただけのことだ。まるで今はじめて知ったという気持ちになるのに一番効果的なのは、ワクワク、ドキドキすることだろう。それはかつての幼かった子どものようにね。