行為と文脈
存在
あなたが今そこにあなたらしく存在するには、条件が必要だ。それはあなた以外があるということ。すなわち比較対象がない状態においては、あなたがそこに存在するということさえ証明することはできないということだ。そんなの当たり前だと思っているかもしれない。けれどもあなたはあなただけの世界ではあなたがそこにいるということすら、確認することができないという脆弱な存在だということだ。それを知りつつも、なぜかあなたは一人でも大丈夫だと思いこんでいるし、何なら煩わしい人付き合いは少ない方がいいと思っている。そこに自己矛盾があるということすら、あなたは知らないふりをしているわけだ。しかしながらあなたはあなた以外の人を見ることができるから、あなたが際立って認識できるということはおそらく揺るぎない事実だろう。そしてそのあなた以外があなた独自の物語を生み出していて、そのおかげであなたの個性を生み出すことができるわけだ。だから誰一人、何一つとして比較対象としてのそれ以外がなければ成立しないのが現実という夢の世界だね。
物語
そもそも言葉の世界も、対象物があるから違う言葉が存在する。もしこの世が丸ごと一つでしかできていないのならば、多種多様な言葉が生まれることはなかったはずだね。しかしそのなにかの影ができることで、対象的な意味を持つ呼び名が生まれ、そしてそれらの状態を指し示す言葉が生まれたわけだ。それぞれがなにかと比べて異なっているから新たな言葉が必要となったわけだ。それもこれも分離して別物であるという認識があってのことだね。そしてそれらを紡ぎ合わせることで、物語が生まれるわけだ。そしてそれぞれの物語が言葉の組み合わせで多様な世界を描き出している。それをあなたは個性だと分類していて、実のところ物語が無二のあなたの存在を証明しているというわけだ。だから行為そのものをなんとかしようとしてもうまくいかないわけだね。その背景や裏側に流れる文脈を読み取って理解することで初めて行動の意味が生まれるのだから。無理解に言われたとおりにする、なんていうのはうまくいかない構造がそこにあるわけだ。
伝承
何かをまとめる係をやるとき、こうやればこうなる、なんていう指示だけでは見本係に終わるわけだ。それを真似た他の人は、それ以上の物語をそこには見いだせないままとなる。しかしながら同じようにやってみせるタイプのリーダーでも、その背景や文脈を丁寧に伝えることで、それぞれの違う物語にそれを紡ぎ合わせることができるわけだ。同じように、手本を見せるという行為が同じであっても、そこに横たわる物語があるかどうかで、その後の効果が大きく変わるわけだ。現代社会ではタイパやコスパ重視で行為だけを真似ることが多くなってきた。テクニカルなことや技の習得ばかりに重きを置くことが多いから、YouTubeでその手順や方法を見ただけできれいに再現できたりもする。しかしながらどうしてそれをやるのか、その手順はどうしてそうなっているのか、などの文脈までもそこから読み取れるかどうかで大きく変わるのはそのせいだね。もちろんそれは長々と説明しているか否かではない。それもある意味説明という行為に過ぎないからね。そうではなく文脈が伝承されているか、に尽きるわけだよ。
