からっぽのまま生きる

日々

考えすぎ

どちらかというと、考えすぎの人の方が多い傾向にあるね。思慮深いことは良いことだと教わってきたし、批判的な思考は科学的な論拠には必須だね。でも、何も考えずにただひたすらにモノとやコトと向かい合うということも重要な体験となる。特に思い通りにならないことを扱うことによって、あなた自身がそれに変容していく変化は、知識ベースのAIには真似ようがない唯一のことだからだ。もちろん、今の時点ではそうであって、今後の進化によっては大きく変わっていくことは類推できる。あくまでも今時点では、その打席にはまだ誰も立ってはいない。さて、あなたは知識や経験においてたくさんの知見を持っているとして、それをもとにいろいろな可能性をいつも模索しているだろう。けれどもそれがかえって邪魔になっているとは気がついていない。変な前提条件が増えるばかりで、あなたの第一歩がどんどん遅くなってしまうからだ。そんなことよりも、頭を空っぽにして眼の前のことを淡々と向き合うことのほうが、結果的には好ましいことが多かったりするわけだ。

続けること

一つのことをそれこそ何も考えずに淡々を進めていくことは、簡単なようで難しいのはそういう原因だ。こんなことしてどうなるのか、とか、このままでは成長がないとか、そんな言い訳がすぐに思いつくからね。それで、一旦それを手放して改めてガラガラポンしたほうがいいという根拠に飛びついて、大抵は三日坊主で終わってしまうことの方が多いね。ところが、それはやらない言い訳という思考のクセがそうさせているわけだし、これまでの経験の積み重ねが残念なことにやめてよかったことばかりとなってしまうので正当化されてしまっているわけだ。むだなことは手放すとか、やったとしても何も変わらなかったとか、そんなことばかりがあなたの経験値として積み上がってしまっている。だから、直感的、衝動的になにかやってみよう、と思った瞬間に過去のあなたがそれをすぐさま抑制してしまう回路が発動してしまうわけだ。そうやって悶々としているうちに、あなたの人生は終焉に近づいていっているわけだね。

残り時間

そうやって悠長なことをあれだこれだとやっているうちに、時間切れの幕が音もなく静かに迫ってきているわけだ。そしてハッと気づいたときには時すでに遅しとなる。ああ、あれこれと言い訳するぐらいなら経験しておけばよかったな、なんていう後悔が襲ってくる。でも残念ながらもうやり直すことはできないね。だから絶望して終わりではなく、見直すことはすぐさまできるから、今でもやれることを言い訳を含めずやるように変えればいいだけのことだ。思い通りにならない外界と、言うことを聞かない内面の世界のバランスをうまく操ることが、あなたが充実した幸せを得る唯一のメソッドだからだ。もっと言えば理想通り、思い通りがいいとか思っていること自体が幻想であり、おそらくは知らず知らずのうちに誰かに吹き込まれた罠だと看破することができるね。もっといえばあなたの思い通りという正体を、あなたの得意な逡巡によって暴いてみるといい。それを知ったとき、もはやあなたは考えることにとらわれないようになれるだろうからね。