ハードモードと五感

日々

支配

音楽家は音を操りたいだろうし、陶芸家は土の表情を把握したいだろし、料理家は素材の良さを引き出したい。それらの共通点はその手で触れながら、それらの素材を使いこなすことにある。楽器も同じ音がいつも出ているわけではないし、土はその水分や配合によってまるで別物となるだろうし、野菜や肉魚はいつも同じ鮮度と旨味を持っているわけではない。それぞれの状況や場面によってちょっとした配合をいつも考えているわけだ。それがプロとしての矜持であり、それを感じ取る能力を磨くことがそれぞれの使命でもあるわけだ。いつもと同じように扱えばすぐに同じものができる世界ではない。実のところそれがあなたを成長に導いていることに気づくだろう。シンプルに言えば、そう簡単には思い通りにならないという不合理さがそこにある。その理由は簡単だ。自然は常に姿かたちを変え続けているわけだし、それを扱うあなたも同じように変化している。だからある理屈でうまくいくという法則を見つけたところで、それが完璧にうまくいくとは限らない世界を生きているわけだからね。

成長

そうやって、微妙な温度や湿度、それ以外にも体調や気圧の変化を感じ取る五感が磨かれていくだろう。それは最低限必要な能力であり、それを把握したうえで、どれをいかに調整することが結果に結びつくかという知恵を体得するのがその正体だ。そしてそれらは当事者が主役だと見えるかもしれない。けれどもそれは逆なんだ。それを習得するスキルを身に着けたという判断になりがちだけれども、実はそれらの自然界の素材によってそれぞれが変容したということでもある。すなわちほとんどの素人は、何かを操ったり支配したりする能力を得たと勘違いしている。しかしながら本質を体得したプロからすれば、そうではなく、音や素材や土に教わっているという感覚であることが多いね。それは究極的に向かい合った結果、それらを取り扱うスキルというものは実は存在せず、いかに五感を精緻に使って自然の素材と対話できるかということにつきるからだね。その地点に到達するには、あなたの自我がどうこうという次元ではいつまでたってもできないわけだ。

五感

ほとんどの苦悩は、自然から切り離された状態だからそうなるのであって、自然の流れからは孤立したり反逆することによって生まれている。だからシンプルに自然の流れを感じ取り、それに上手に歩幅をあわせて順応することが、唯一の解決方法となる。だからこそ、五感を研ぎ澄ます方法をまずは習得しなければならないわけだ。ところが思考ばかりで感じることを捨象するようになると、理論的な世界に陥ってしまうね。そうしてすべてが記号化され、均質ななにかである虚像の世界が現実だと錯覚することになる。実際に木々の葉一つ同じものがない事実さえ気づかないようになると、方法論だけを精緻に磨いたとしても、その応用が全くと言っていいほどできなくなっている。しかもそうなっていることにすら気づくきっかけも失って、まるであなたの思うようにはならないことが、あなた以外のなにかのせいにしてしまうわけだ。原因と結果という論理は、それほど普遍的でも根源的でもないのに、そのことにすら気づかないようになってしまうと、苦しみばかりのハードな人生を過ごすことになってしまうわけだよ。