期待値と効果

日々

半分

今年ももう半分が過ぎたわけだ。よく言われることだけれども、もう半分と思うのか、まだ半分だと思うのかはそれぞれの視座によって異なる。そこには事実として半分があるだけで、それをどう捉えるかは人それぞれということだね。どちらかといえば、前向きに捉える方がいいとかされているけれども、それもそうだと限ったことではない。あっという間に過ぎ去っていくことを実感して、日々大切に過ごそうと思い直したりすることは、その人にとっては必要なことかもしれない。あるいは、ずっとつまらない日々の中で、まだ半分しか過ぎていないのかと落胆することも、それが好ましいとかそうではないという判断は誰かがするものではなく、本人の問題だからね。ただ、あと半分で今年もぐるっと一蹴するという観測地点であり、それに意味はない。だからこそ、それに意味をもたせることは自由であり、それができること自体が素敵なことだとも言えるわけだ。

残り時間

だから、またここからぐるっと一周しようと、スタート地点だと思って走り始めるのもいいし、あと残り半周だと思ってそのまま進むのも良いわけだ。それに良し悪しはそもそもない。単なる時間の問題でしかない。けれども、残り何周できるかは人それぞれによって大まかな予測はつくだろう。だからこそ、ここまで生き延びたと大いに喜ぶ人もいるし、まだこんなものだと恨めしく思う人もいる。いずれにせよ、置かれた状況によって単なる自然現象は全く異なる意味を持つことができるわけだ。雨が降れば多くの人は鬱陶しく思うかもしれないけれども、農業を営んでいたり、水不足に悩んでいた人にとっては恵みの雨となるのと同じだね。旅行なんて呑気な予定で生命の水を軽視するなんて、と言われてしまったところで、その人にとってのプライオリティが違うわけだから、大きなお世話だともいえる。誰かにとっては死活問題だろうけれども、単なるレジャーよりも上か下かなんていう無粋な言葉などは受け取らなくても良い。

欲求

そう、同じことであっても置かれている立場によって発言が大きく異なるのが常であり、自然とは本来そういうものだ。だから、やりたくもないことをやれ、と言われてやることほど、当の本人とっては苦しみでしかない。逆に今やりたいことを制限されて、やりたいようにできないのも同じ苦しみとなる。それを支配したりコントロールしたりしようとすると、それをする人にも数倍にもなって襲いかかってくるわけだ。やりたいように生きるのが自然である。そしてそれは均一ではないという厳然たる事実に対して抗うと、後々大きなつけとなってしまうからね。結局のところ、見かけ上は怒鳴ったり叱ったりしておとなしく従っているように振る舞っているけれども、狙った効果としてはまったく得られないわけだ。それでも押し付けると、受け取ったフリをしてうまくいったかのように勘違いしてしまうというオチとなる。すなわち、こうしてやったからこうなった、なんて言いたくなるかもしれないけれども、実のところ全くそれは影響もなく関係なかったということだよ。