ゲーム好き
大局をつかむ
よく何か事を始める前に、大局を捉えなさいと言われるね。何事も枝葉末節に見ていては、本筋から離れてしまうから、そう言われるんだよね。もちろん十分に気をつけているつもりだけど、情報不足の時についつい視野が狭くなる傾向にあるね。小さな悩みが邪魔をしてその先が見えにくくなるからね。そうは言っても、大局をつかむことがそんなに簡単に上手くいけば、そもそもそんな悩みはなくなるはずだよね。ということは矛盾しているけれど、最初は目の前の小さな細かいところから順番に見ていくしかない。でもその中で振り返って、それは何のためにしているのかという事を、都度忘れずに確認することが大切だね。
小さな画面
何事も初めからホールインワンやホームランが打てたら良いけど、まぁ、そう上手くいかないね。でもそれでいいんだよ。「上手くいかない」があるから、「上手くいく」が生まれるわけであって、「上手くいかない」が無ければ、そもそも何も起こらないというわけだね。そもそも人生全般として、思った通りに、期待通りにいかない事を楽しむためにそこにいるんだよね。だから紆余曲折を楽しむのが生きることそのもの。上手くいかないのがあることがエンターテイメントそのもの。それはそれでいいはずなんだけど、どこかでモヤモヤするのは、思い通りにしたいという葛藤からだね。思い通りにしたいのはなぜかといえば、わたしが早く誰かの、何かの役に立ちたいからだね。誰かの、何かの役に立ちたいと思うのは、わたしの居場所を確認したいからだね。ほらここまで進んだよとかね。
ゲームとわたし
だから、そういう状況を生み出しているのは全部わたしだよね。わたしがそれを望んでいる。望んでいるからそんな世界が目の前に広がっているわけだね。ゲームセンターでゲームを選んで、コインを入れて画面を見つめながらわくわくしてゲームが始まるのをまっているのと似たようなものかもしれないね。だから何も心配しなくていいんだよ。だから「上手くいかない」ことから逃げるのではなく、本来は共に手を取り合って画面を進めばいいはずだよね。「上手くいかない」ゲームの産みの親としての愛情とでもいうかな。それがやりたくて、仕方がなかったはずだからね。そのゲームの進行の先には今とは違う何かが必ず仕込んであるはずだから。いろんなトラップがあるのも、そこをクリアした向こう側には、別の何かがあるということを知らせるためにそこに現れている。ああ、ドキドキしたなぁ、なんてやがて気づく至福の時が訪れることは間違いないんだからね。