はてさて
見ている
あなたはあなたとその周りの世界を見つめている。そしてあなたはこの世界にいるものだという前提条件において、あれこれと考えている。けれども実際にはそれが良いことだとか悪いことだとかという意味づけはあなただけがしていることだね。だから、人によってはたいしたことがないとバカにされたり、それは大変だと同情されたりする幅がいつもある。誰かと比べてどうだとか、誰かと比べようもないことだとあなただけだとか、そういう尺度でしか物事の善し悪しは決められないという限界がそこにある。だからそれは絶対的ななにかではいつもないわけだ。けれども、あなたにとってはそれは良いことだし、ありえないぐらいの悪いことだというものさしは変えられないね。そこが一番の大事なところだ。すなわち絶対的ななにかなんていうものはどこを探してもなくて、あなたよりひどい状況になっている人もいるだろうし、あなたより楽々と生きている人もいる。それがあなたの良いこと悪いことに全く影響を与えないのは、そもそもあなたがそこにいるという仮説自体が怪しいことが原因でもあるわけだ。
視座
そうやっていつもあなたはあなたの指標を絶対として、それについて良し悪しが決まっているわけだ。そしてそれは捉え方によって大きく変わるものなのは、絶対値ではないからだ。さらに言えばあなたがそこでそう感じているというのは、あなただけの世界であり、それが普遍的な世界ではないということも示唆している。すなわち、あなただけの世界しかあなたは見ることができず、どれだけ客観的に俯瞰しようとしても、あなたの世界を突き抜けることは不可能だ。だからあなたの信じている世界そのものをどこから見ているか、という問題であって、それ以上の視座を持つことができない。もちろんそれをなんとか超えようとする努力は無駄ではない。なぜならそれに気づくことができたという段階で、あなたはいつものあなたとは違っているからだ。しかしながらそれを達成することはいつまで経ってもできないだろう。もっと言えばそれを超えることはできないから諦めるわけではなく、それが超えられないとしてもそういうものを意識するだけで、大きくあなたの視点は移動するのだからね。
幸せと不幸
そうやって、あなたはなんとなくでも自らの限界というか、その中でいつももがいているだけとなる。どうせそこから脱出できないのならば、そのままでいいじゃないか、という考えを持ちつつも、なんとか全体を俯瞰できるような施策はないのかと探求し始めるわけだ。合理的な視点でいえば、無理なものは無理なんだから、もっと違うところで努力すればいいと何度も思う。けれども、結局いきつくところは、やっぱりそこに戻ってしまうね。考えてみれば当然であって、もっと広く違う視点を持てるようにと探索し続けているのだから、そこが一番の限界点であり、その扉をこじ開けることができれば全く違うなにかに行き着くことは間違いないのだからね。そう思っている事自体ですでにあなたは十分な視点を手にしている。もちろん実際には扉は開かれてはないにせよ、今のこの視点には限界があるということすら気づかない人ばかりだからだ。だから、それを胸に秘めているだけで、すでにあなたの視点は限界まで達しているとも言えるわけだよ。
