違和感

日々

アナログ

デジタル化で効率化されることが当たり前になった現代において、なぜかアナログに回帰する動きが起こっているね。まぁ時代はいつもどちらかに振り切れるとそれを揺れ戻す動きが働くものだと、歴史的な考察から明らかなんだけれども、それにしてもデジタルで慣れた人にとっては、いまさら感が大きいだろう。しかしながら一方で、アナログは実社会との接触という部分においては、生物そのものの記憶と記録があり、本能的になにか揺さぶられることもあるのは事実だろう。実際の世界を触れるという意味においては、デジタル上で完結してしまうことがほとんどの世の中において、不確実性が高いモノに向かい合うという本来の生命活動に戻るという流れが生まれるみたいだね。実際にデータ上で完結するのに、わざわざ紙に印刷しないとなんとなく落ち着かないという気持ちも、そういう意味ではなくならないのはそういうことだろう。ただ、それすらも叶わない大きなデータに関しては、もはや手の打ちようもない時代ではあるね。

情報量

たとえば、あなたが音楽に向き合うとき、特に制作側であれば音の粒度とか、密度とか、組み合わせにとても気をつけて取り扱うね。あなたが画家であれば、まずはキャンバスの素材感や、絵の具の質感や、そこから放たれる色そのものに対して、それこそ真剣勝負と同じくらいに心を砕くだろう。あなたが料理家であれば、同じ素材でも季節や産地によって微妙に異なる風味や鮮度を元に、どんなスパイスを加えるかなんてことに集中しているだろう。それぐらい現実と触れるということは、あなたの想像の範疇を超えてくる場合が多いね。ということは、あなたがかつてない情報量を得て、知識量としては莫大に持っているとしても、それをもってしても現実はとても困難だということだね。一筋縄でいかないぐらいに不確実性に溢れていて、単なる同じことの繰り返しだとしても、あなたにとっては手強い相手と向かい合うという試練がいつもそこにあるわけだ。

ベストアンサー

正解があふれる社会において、そのとおりにしたところでほとんどの場合それなりの結果しか得られないのはそのせいだね。もちろん、ほぼ問題なくできることは増え、大失敗になることはかなり軽減されたことは間違いない。しかしながら、あなた個人でさえ、それで満足かと問われるとそうでもなかったりする。特にあなたが特別に得意なことに関しては、なんだまだこの程度か、というレベルだろう。しかしながら、それなりに出来る様子を見て、まるで親が子をを見守るかのような感覚に襲われるわけだ。そう、すべてにおいて悪くはないというレベルだ。それが経験としての知識のコモディティ化であって、ずぶの素人でも、真似てやればそれなりのものになるということだね。しかしながら一方で、それですべてが完結する世界はあなたにとってはあり得ないだろう。今はちょうどその端境期であり、今後のことはどうなるか予測も難しいけれども、おそらくはもっと良くなっていく反面、実物に触れて匂いを嗅いで、みずみずしさを感じるといった五感と知識が融合しないと、無味乾燥なちょっとした違和感はずっと残るのかもしれないね。